■
本日、東京都教員採用試験二次試験の結果が出まして、無事合格しましたことをここに報告します。
これで少なくとも来年度は正規教諭として社会科教師として教壇に立つことができます。
これに満足することなく、次のステップへと歩んでいきたいと思います。
無知の知
昔の哲学者はいいことを言ったものです。
教師とは「無知の知」を探求すべき人間であると感じました。
自分は今週、中学生を相手に授業をしましたが、その時に自分がしていたことは「知らないことを教えてあげる」という位置づけでした。
まあ、向こうもそれを望んでいたような感じがしたのでやったまでですが。
しかし、人間が知ることができる量には限界があります。
そして、人間が知る範囲には必ずその人の価値観が入り込んでいます。
例えば歴史を教えるにしても「完全な歴史」というのは存在しません。教師が子どもに教えているのは「教科書にある歴史」=「国家の(都合のよい)歴史」ということになります。
歴史を教えるものは常にそこからの脱却を求めます。
そのひとつが、視点を変えることでしょう。つまり、個・地域の歴史に焦点を当てることです。
しかし、こうした微細な歴史は悪くいえばトリビアにしかなりません。
重要なのは、個・地域の歴史を扱うにしても、それが社会とどうかかわっているのかを見ることでしょう。
要は見方・考え方を子どもに示すこと、これが社会科の仕事であり、物知りになることは二の次なのです。
もちろん子どもは、物知りになることの方に興味を示します。政治や経済などの難しい話は、本当にいやそうな顔をします。
そこで鬼になる。これが真に社会科としての歴史になるか、ならないかの差だと思います。
それと、もはや授業レベルでものを考えるのをやめていくべきです。これは自分に言い聞かせながら書いています。単元・年間レベルで子どもに何を育てていけばよいか、社会認識や市民的資質を育てるには、目先ではなく、1年、あるいは3年かけて考えていくことが大事なのだと思います。
今まで実習などでやってきたことは高校野球にしか過ぎません。これからプロになるわけですから、目の前の試合、ではなく、1年間ローテーションを守るためには、という感覚で授業をすることが必要になってくると思います。
それを言い聞かせて論文は来週から頑張ろうと思います。
あ、ちなみに「無知の知」を取り上げたのは、歴史の事実=知として子どもに教えるのではなく、見方や考え方を教えることで、自分の知らないことを子どもからも吸収していこうとする姿勢が大事だよ、って意味で書きました。
AKBバブル
ほんと、AKBバブルが続いていますね。あんな巨大な知名度になるなんて誰が予想したでしょうか。
最近、プレイボーイ、ヤンジャン、などなど様々な雑誌がAKB一色。
なぜ雑誌はAKBを取り上げるのか。それは雑誌が売れるからです。
最近、メディア産業は大不況。特に雑誌は本当に売れず、最近ではSabraが休刊を発表したばかり。それだけ雑誌業界も売ることに躍起になっているのです。
そしたら、今のAKBには若者(特に10〜20代男子)の購買意欲をあおる力が半端ない。
そりゃ雑誌業界の人なら誰だって食いつかないはずはない。
ただ、自分にはこれがバブルのように見えて、怖くて仕方がない。
人間は本当に変化を求める。だからこそ時代は変化を続けていくわけだが、申し訳ないがきっとこれもひと時の夢物語のようにいつかははじけてしまうのだろう。
特に情報産業の業界がAKBをあおればあおるほど、その危険性はますます強まっていく。膨れた泡ははじけた時の大きさも半端ない。だからこそ90年代はバブル不況、失われた10年と言われたし、近年のサブプライム問題も構造はバブル経済と一緒である。
秋元康が来年以降、AKBにどんな一手を打ってくるか、見ものである。