青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 今日は自分に質問力がないことを知った。どうしてみんなあのレジュメからポンポン質問ができるんだろう。それが不思議でたまらない。やっぱり人と接していないことと慢性的な知識不足のせいだろうか。本当に歴史学でやっていく自信がない。どうして疑問点をああやって持てるのだろう?不思議だ。


 すっげー、うちの大学にも投稿者っていたんだねえ。

 以下、自分の心の叫びなので見たい人だけ見てください。


 元うちの大学にいた歴史学の教官が亡くなったらしく歴史学教室がバタバタしていた。僕は死を目の当たりにしたことがない。昨年の一件も既に火葬が終わっていたから、直接死に目を見ることはできなかった。あの時は悔しかった、悔しくて悔しくて仕方がなかった。どうして今なんだ、どうして僕が東京にいるうちになんだ、と。頑張らないと、僕頑張らないとって誓ったあの頃。でも、その悔しさが未だに教訓とされていないこの現状。もどかしい。


 学ぶって一体何なんだろう、って漫然と考えている。将来って一体何なんだろう、って漫然と考えている。でも、答えが見つからなくて、そんな時、まわりにアドバイスをくれる人もいなくて、アドバイスをくれたとしても、自分のおかしなプライドがそれをはねのけたりして。とにかく今頭の中が大きく混乱している。1,2年とは違う、考えれば考えるほど、自分の大学生活に自信が持てなくなってきてる。はっきり言うと無駄な2年間だった。結局このまま自分はこの大学に何も残せずに、しぶしぶと都落ちしていくのか、と。


 そんなことを一人になってしんみりと考えている。このままじゃダメなんだけど、分かってるんだけど、からだがついていかない。自分を、プライドを、偏見を、捨てていかなくてはならない時期にさしかかっているのかもしれない。同時にラジオから去るときが来ているのかもしれない。


 しんみりさせてしまった、申し訳ない。ただ今自分が思っていることをつらつらと書いてみました。考えすぎなのかな?夢が学校の先生であることに変わりはない。青森県が好きなことに変わりはない。ラジオもねぶたも好きなことに変わりはない。ただ学問が、自分を見捨てるはずがなかった学問に、見捨てられて自信をなくしているだけかもしれない。