青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

今の教育問題に関する自分の気持ち

 あと、もう一つだけ今日考えた歴史と今の未履修問題を絡めて。結局、どの時代の農民も、何だかんだでズルをしてるんだよね。律令期には、様々な賦課は男子に課せられることが多いから、戸籍や計帳を調べにきたときには、男が生まれても、女が生まれたってウソを書かせるし、中世だって年金未納じゃないけど、一つの村の文書を見れば、年貢未納っていう記載はいっくらでも出てくる。さらに近世だって、田畑永代売買の禁が出ているくせに、文言を巧みに利用して、余裕で売買して、質地流証文っていういわゆる、土地の移動を示す証文が至る所であるわけだよ。


 じゃあ、なんで農民はこうやってわざわざズルをするんだろう?って考えてみようか。一言で言えば、やっぱり年貢を納められないほど、農民の生活は苦しかった、ってことだよね。来る日も来る日も年貢、年貢、って言われてさ、出さなかったら、奴隷身分になるわけだし。そうすると、農民たちも人間だから、グループを組んで(あるいは個人で)あれやこれやって考えるわけだよ。まあ、つまりお上(法)のギリギリに挑戦するわけだよね。それが露顕したときは最悪死罪だろうけど、それでも餓死しないためには、法を犯さなくてはならない社会があったっていうことだよね。だからこそ村ぐるみで徒党を組んで一揆をしたり、打ちこわしをしたりするんだよね。


 歴史の中にもこうしたズルはあるわけだよ。で、今回それが発覚して、全国的に発展して、信じられない、ってお前はヒルマン監督か、って思いたくなる。少なくとも、信じられないとか、けしからん、なんていう言葉は誰だって言える。高校生でも、小学生でも言えるよ。だって、文科省っていう偉い省庁がこうして下さい、って命令したものを破ったんだから。そんなの小学生でも分かる。でも、問題はじゃあ何でこんなことをしなきゃいけなかったのか、っていうことですよ。校長は口々に揃えて言います、「生徒のためを思ってやった」、これを歴史的に言いましょうか。「私たちは餓死したくない、だから、土地を売るんだ、だから、年貢を納めないんだ、だから、戸籍をごまかすんだ」。これはけしからんことですか?じゃあ、何でこれがけしからんのですか?


 さらにコメンテーターは口々に揃えて言います。「教育の本質をはきちがえている」、じゃあ、あなたにとっての「教育の本質」って何ですか?「多用な教科を学ばせて、社会的資質を身につけさせること」ですか?じゃあ、「教育の本質」が「徹底した受験指導である」というのは学校社会においてはダメな答えなんですか?今、答えなんてない授業が大流行みたいですが、じゃあ、受験指導っていうのは「教育の本質」として間違っているのですか?呆れてものが言えない、なんていう人もいますが、そういう人こそ教育のことを全く分かっていない人なのではないですか?


 学力低下がどうこう言っていますね。私は言いたい、限りある時間の中であれやこれやと頑張っている、苦心している現場の立場を上の人は分かっているのですか?学問的な教育をしたいけど、それをグッとこらえて、仕方なく塾みたいな指導をしている先生の気持ちが分かりますか?それこそコメンテーターのような客観的な態度を取ってる人間こそ、農民から年貢をしきりに取り立てる支配者、要するに表面的な視点でしかものをみることができていないのではないでしょうか?


 愚痴をこぼしてしまって申し訳ありません。僕にも教育の理想っていうのがあります。先月の附属中の実習は、その理想がうまく活かせた実習でした。でも、理想だけでは叶わない部分ってあるんです。敢えて今のメディアが言っていることに真っ向から反対の立場を示す事によって、その反面教師として、教育が、そして社会科という教科が、注目され、虐げられないような学校カリキュラムになることを切に願いたいと思います。