青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

教育雑記、おまけ

 そういえば、習熟度別って満足度は高いんだってさ。8割ぐらい。だけどなんで満足しているかっていうと、「自分のペースで勉強できるから」なんだって。で、学力が向上したと感じる生徒はたった3%なんだってさ。だから、習熟度別って何か生徒のニーズに合っててよさげだけど、実はそんなでもないんだよね。ただ教師がやりやすいように授業しているだけ。塾とほとんど同じさ。尾木先生が言ってたのは、同じ道のりを求める問題でも、塾に行っている子のクラスは公式に当てはめて何の疑問も無しに解いてしまう。でも、塾に行っていない子のクラスは確かに解けはしないけれど、学問としてはこっちの方がものすごく質は高いんだって。だって道のり求めるのに、「先生、そこには砂利道があって遅くなるかもしれないじゃないですか」ですよ。これ、まあ普通の教師からしたら、うざったいなあって思うかもしれないけど、でも、ちょっと視点を変えるとこんなに現実を見ている子どもはいないじゃないですか。そうだね、いいこと言った、って褒めてあげればそこで会話が成立して、やる気が出る。→モチベーションが上がる→勉強しようって思う、ってなるんだろうね。


 モチベーションで思い出したんだけど、自分、確か中2の学校祭の壁新聞に勉強をテーマにした原稿を提供したことがあって、その時に「勉強はやる気が大切だ」なんてことを書いてて、で、学校祭のコンクール結果を見に行ったら、講評のところに「メイン記事はよかった」みたいなことが書かれてて嬉しかったなあ、なんて思い出があったわ。中学の頃から「勉強はやる気だ」って言ってる自分からしたら、やっぱり同調する部分があるんだよね。


 あと、学校が経営者論理(企業論理)に侵されているとも言ってた。今や何でも評価の時代だからね。あと、学区撤廃による学校アピールが入ってくるでしょ。そんな中で果たして人間性は育ちますか、とも感じたね。だから、教育は政治からの解放を目指さなくてはならない、と言っていた気がします。とにかく尾木先生の理想は、習熟度とかで振り分けるのではなくて、多様な人間を失敗があってもいい、一緒に教え、学びあっていくことが大切だと、言っていた気がします。幸いにも社会科には高校での科目選択はあるにせよ、基本的には習熟度別というのはないはずなので、こうした多様な価値観を揺さぶり、モチベーションを上げることができるような授業を目指したいなあ、と改めて思いました。

 
 まだ書き足りないことがありそうなので、それは明日書くことにします。