青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 ちくま新書の『教えることの復権』という本を読みました。社教のゼミで春休みに読めと言われたので。
 

 国語教育で著名な大村はま先生と、その教え子である苅谷夏子さん、その夫の苅谷剛彦先生の共著の本です。
 この本は2003年に初版されたのですが、その頃はちょうどゆとり教育への疑念がふつふつとわき上がっていた時期。その時既に今のゆとり教育への疑念を投げかけています。じゃあ、脱ゆとりがいいのか、というと決してそんなことも書かれていません。
 単純に言うと、今の教育はゆとり教育と言う名の教えない教育と、学力向上と言う名の詰め込み教育のどちらかに流される傾向にあります。著者たちはこのどちらの教育をも批判し、教師が何を教えたいのかをしっかりと考えることが大事だと説きます。
 

 自分は昨今の「脱ゆとり」なんていう考え方は、メディアが仕掛けたものだと思います。以前読んだ和田中の藤原校長の新書の中に、メディアは白黒や善悪をはっきりつけたがる性格があり、視聴者がそれに踊らされていることを問題視していました。ゆとり教育の失敗という言葉はその最たるものだと思います。


 確かに教師が授業にどれだけ介入していいかという塩梅は人によって、子どもによって異なり明確な答えがないので、そういう曖昧なものは文章や言葉で示すことはできません。最高な実践集があったとしてもそれが万人に通用することはありません。でも、ゆとり教育=子どもの自主性に任せる→子どもに考えさせる→教師は見ているだけ、という授業であったとするならば、自分は教師はいらないと思います。


 そう考えると、さっきの白黒はっきりつける考え方であれば、自分は詰め込み教育側につくのかもしれません。まあ、自分は中等の人間なので子どもに任せるよりは、知識を教えたほうが、とは思います。少なくともそっちの方が子どもが知らない「何か」を「教える」ことになっているので。


 でも自分は教科書を淡々と、っていうのも好みません。何とかひと工夫加えてやろうと思って授業を考えています。そしてできれば、目の前にいる子どもと一緒に、とも考えています。
 そのためには子どもが予想していた以上の答えが出せる「なぜ」とその「答え」が必要だと思います。少なくとも「なぜ」という気持ちさえもって授業に臨むだけでも授業の雰囲気はガラッと変わるし、何となくゆとり教育の目指していたものに近い授業になるのでは?と思います。


 じゃあ、実践を示せよ、と言われると元も子もありませんが、少なくとも自分は授業が変われば子どもも変わると考えています。だって学校生活の半分以上は日々の授業でできているから。そしてできれば「考える」ということを大事にしたいなと思っています。


 「教える」ということを改めて考えたい人におすすめです。


 余談ですが、自分はこの考え方で教職大学院は落ちました。まあ、予想はしていましたが、やっぱりうちの大学の教職大学院にこの考え方はなじまないようです。