青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

教師の専門性とは・・・?

 先週、ようやくうちの社会科の先生3人で飲み会をする機会があった。そこで、うちの学校に長くいる50歳ぐらいの先生に、その日は言われなかったんだけど、以前に



 「もっと専門性のある本を読んだほうがよい」



 という指摘を受けました。



 ここでいう「専門性」とはいわゆる「学問的専門性」のことで、政治であれば政治学、経済であれば経済学のことをさす。
 確かに最後の研究授業、日本史とはいえ、2000年代の小泉改革をとりあげ、その特徴について授業をした。
 その先生は公民が専門だから、いろいろと言いたい部分もあったのだと思う。




 この指摘は非常にごもっともだと思ったし、実際、自分はこの勤務校に来てまもなく4年目となるが、そういった本を読む機会がなくなってしまった。読むとすればもっぱら新書であり、手頃に分かりやすく解説してある本(池上彰みたいな)ばかりである。



 でも、言い訳するわけではないが、言い訳させて欲しい。




 自分は今の勤務校ではそれでよいと考えている。



 それは自分が意図するところの「専門性」というのが異なるためである。



 うちの勤務校は、中学の成績で「1〜3」、まれに「4」みたいな生徒が入ってくる学校である。当然、社会科に関する知識はあまり持っていないか、持っていたとしてもかなり偏っている。
 実際、この間の入試の採点も行なったが、資料を読み解いたり、問題の意図を理解できていない生徒が多い。(まあ、今年の入試問題は社会科の知識を「問題文や資料を読み解き、それを表現できる能力」に矮小化し、その資料の内容が結構めちゃくちゃだったことに、かなりの違和感を感じたが)




 となると、当然自分の勤務校に課せられた使命は、




 中学の学び直しに、ちょっと高校の知識を加える



 程度で十分だと思っている。



 これは別に生徒をなめているわけではなく、彼らの実態に合わせて授業をしている結果である。




 そうなると、ここで求められてくる「専門性」とは、どちらかというと、




 身近にあるもの、ビジュアルに訴えるもの、から各教科の内容にいかにアプローチしていくか、



 ということになるかと思う。まあ、本当に小学校や中学校でやられている手法をとるのがよいだろうという結論になる。




 新規採用で学校、特に高校に勤務をすれば、自分が習ってきた学問(歴史なら歴史学で学んだ、実態は教科書とは違うんだよ、的な知識や、現代とこんな形でつながっているんだよ的な知識)を披瀝したくなるものである。
 だけど、そういう知識は、かなり高度な思考を踏んでできている知識であるため、うちみたいな学校だと、そもそもその定説から説明する必要がある。
 そうするとどうしても時間がかかるし、教科書をすすめたい、と思うならば絶対に終わらない。(自分は終わらせるつもりは全くなくやっているけど)
 で、こっちが説明しだすと、ついてくる生徒は・・・うちの場合、5人いればいいほうかな。





 そうなると、授業のアプローチってどうしても変えざるを得なくなる。
 だから自分は、例えば日本史であれば、本来近現代史をすべてやることが理想であるが、進度や彼らの多くが受験しないことを考えれば、どちらかにしぼって、その代わりDVDなんかも見せながら、じっくり時間をかけて説明してあげる方が、彼らの知的興味を高めることができるのはないか、と思っている。








 で、勘違いしないでほしいのは、最初にあげた「専門性」が「内容」であり、今自分が挙げている「専門性」が「手法」であり、「内容なんか中学ぐらいの知識で十分、あとは手法を何とかすればいいんだ」、みたいな二元論に矮小化して議論するつもりは全くないし、もし、そう感じているなら、それはその社会科観がおかしいと言わざるを得ない。





 大事なのは、大学院時代の先生が言っていた、「目標・内容・方法の一体化」であり、まずは、社会科の「目標」を何にすえるか、ということである。
 自分の場合、その「目標」は池上彰みたいな、「社会をわかりやすく説明することができる力」を育成することだと思っている。そのためにはまず、こちらが「社会を分かりやすく説明する」必要があると思っているので、手をかえ品をかえ授業をしているわけである。
 当然、その目標が「歴史学の最新知見を教えること」とすえてもよいし、「人々の声から歴史をみていく」でもいいわけである。(ただし、その妥当性は問われるし、そこは議論の必要があるけどね)




 で、そこから何を教えることを自分の「専門性」にしていくのか、を見つけていけばいいと思う。
 教師は20代からなれば約30年間、その内容にぶつかっていかないといけなくなる。社会科の教師であれば、社会の変化にも対応しなくてはいけないし、また、勤務校や生徒の実態もすべて異なるから、それに合わせて自分の「専門性」の定義を変えていかないといけないだろう。




 でも、何を「専門性」にするのか、という社会科の先生としてのアイデンティティみたいなものは、1年目からしっかり持っていた方がいいと思う。そうじゃないと、どこの学校にいっても生徒になめられると思う。それは内容であったっていいし、方法であったっていいし、目標であったっていいと思う。それが「スタイル」となってくれば、例え授業がうまくいかないな、と思っても、生徒はその先生の授業を認めてくれる、そう思うけどな。
 4月以降、あるポジションにつくので、主に1年目の先生方向けに文章を書いてみました。もう4年目、だもんね・・・。