青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

卒業式

 長くなりますので、見たい方のみ。
 昨日、卒業式が行われ、初めて担任として受け持った生徒が卒業していきました。
 22名での卒業でした。
 卒業式は退場の際に、感極まってしまいましたが、それ以上に感動的だったのは、自分が生徒にメッセージを送り、終わりにしようとしたら、


 
 「先生ちょっと待ってください。みんなから一言ずつ、先生に言わせてください」



 となり、22名から僕に対して一言ずつメッセージが送られました。
 みんな感動して泣いていましたし、このメッセージの時も泣いている生徒が多く、自分も涙を流しながらもその言葉に耳をかたむけました。



 「先生のおかげで就職することができました。ありがとうございました。」
 「先生にいっぱい迷惑をかけてすみませんでした。」
 「先生じゃなかったら、オレは2年の後半でやめてたかもしれません。」
 「自分は、先生の授業を適当に聞いていたことを後悔しています。先生は、金八先生GTOにはなれないって言っていたけど、十分金八先生GTOみたいな先生でした」
 「先生のおかげで卒業することができました。ありがとうございました。」
 「遅刻が多くて本当にすみませんでした。」
 「先生は自分のことを本当によく見てくれていたな、と思いました。積極的にコミュニケーションがとれるように頑張ります。」
 「先生のおかげで変わることができました。ありがとうございました。」
 「先生が陸上の大会を見に来てくれて、3年間部活を続けてきてよかった、と思いました。」
 「体育祭の応援団の時に、先生のアドバイスのおかげで何とかやることができました」
 「自分は1年の時にやめようと思っていたけど、先生と面談して思いとどまって、食品関係の仕事に就職することができて、やめなくてよかったな、と思っています。就職したら、サブチーフ目指します。」
 「自分は中学の時の先生が、先生と同じくらいの人で、その人はオレに何にもしてくれなかった。だからこの学校に入って、先生が担任で正直、偏見の目で見ていました。でも、先生はそんなことはなかった。」
 「先生とはバレー部でも一緒で、最初はクラスのことが本当に嫌いで、でも、先生がきちんと話を聞いてくれたから3年になって、バレー部で大会優勝して、成績もよくなって、文武両道で卒業することができてよかったです。」
 「自分はからだが弱くて欠席も多かったけど、先生に言われたとおり、休まないで働きます。」
 「自分はバカだけど、こうして卒業できたのは先生のおかげです。車を修理する時は言ってください。フェラーリみたいに改造してやります」
 「自分がこのクラスで一番迷惑をかけたと思います。でも、卒業できてよかったです」
 「先生が朝学習に誘ってくれたおかげで、自分の入りたい会社に就職することができました。仕事をしっかりやって、やめないように頑張ります」
 「自分がケンカしそうになった時に、先生が止めてくれて、あのときは本当にすみませんでした。就職しても頑張ります」





 だいたいこんな感じのことを言っていた気がします。本当に担任をやってよかったな、と思っています。
 本当に本当に大変なクラスで、1年生の時は心が折れそうになったり、逃げだしたいと思った時もあったけど、ダメなものはダメとして、学科の先生方と協力して、食らいついてくる生徒だけを残し、そこから一人ひとりと向き合うために、「成長ノート」を書かせ、それにきちんとコメントをつけたり、毎朝8時から30分間朝学習をしたり、宿題として天声人語を書かせたり、就職活動が始まるとなったら、夏休みによんで、SPI、学力試験のプリントを配ったり、履歴書の志望動機を一緒に考えたり、就職に行く生徒は必ず1回は面接、と言って面接指導したり、集団面接のときは協力しろ、と言って面接の練習をさせたり、大学選びを一緒にしたり、一緒に資格試験を受けたり、他教科の補習をやったり、とにかく生徒の未来としっかり向き合い、生徒に向き合うことが、3年間を通してできたんだろうなあ、と思いました。




 自分がクラスのためにしてくれたことを、彼らはきちんと見てくれていて、それをきちんと感謝の気持ちで返してくれる、それだけで僕は本当にうれしいです。担任冥利に尽きます。




 でも彼らがこうやって、感謝の気持ちを表現したり、後輩のために式場準備を手伝ったりすることができるようになった、大きな出来事は、もう1つあるんだと思います。




 実は本来、うちのクラスは23名で卒業する予定でした。その1名は、10月から脳腫瘍で入院していて、病状がみるみる悪化。闘病生活わずか5か月で帰らぬ人となってしまいました。
 彼は学力は低いけど、本当に一生懸命なやつで、アイドルがとにかく好きなやつで、文化祭とか行事の仕事は本当に一生懸命やるやつで、校歌とかはこちらがふざけてんじゃねーか、と心配するぐらい大きな声でビブラートを利かせながら歌ってくれるやつで、本当に周りに愛されていたやつでした。
 自分も元気な時はお見舞いにいっていたんだけど、12月ぐらいからは忙しさにかまけて行けなくなり、2月にテストが終わってこれからいっぱいお見舞いに行って、勇気づけてやろう、と思った矢先の出来事でした。
 自分は両親も健在で、母方の祖父は9年前に亡くなっているけど、こんなにもストレートに人の死に直面するのは、人生で初めてでした。その事実を聞いたときは、とにかく彼のために、自分はほとんど何もしてあげることができなかった、という悔しい気持ちでいっぱいになりました。本当につらい時に顔を出して、少しでも元気づけてやったら、もっと長く生きれたんじゃないか、って自分を責めました。



 でも、この死をきっかけに、彼らは本当に「大人」になりました。クラスメイトとの最後の別れ、泣いていました。でも、彼の分まで生きよう、ってみんながそう思ってくれたきっかけになったんじゃないかな、って。慌ててたり、どうしようとあたふたしていたのは、むしろ僕の方で、彼らの方がよっぽど「大人」でした。彼らのそんな姿を見たときに、「ああ、もう僕はいらないな」「もう彼らだけで十分生きていけるな」、そう思いました。



 教師ってとかく、自分が何でもかんでも面倒を見たがる生き物だと思います。オレが指導したおかげで彼らは成長したんだ、って。
 でも、それって教師っていうか、大人のエゴですよね。生徒はロボットじゃないんです。
 究極的に教師というのは、彼らが「自立(自律)して生きることができるようにする」のが目的だと思うんです。特に、進学しないで就職する生徒にとって、高等学校が最後の学校なわけで。
 だから最終的には、教師が何もしなくても彼らが勝手にやってくれるのが一番いいんです。僕も教師になりたくてなった人間ですから、あれこれやって、エゴを見せつけてやりたい、っていう気持ちはあります。特に、うちのクラスの生徒は、手のかかるやつらばかりだし、幼稚園児かよっていうぐらい甘えてくるし、かと思えばそこらへんにごみはポイ捨てするし、注意したら言い訳するし、で、ほんとこいつら「ガキ」だな、って思っていました。
 でも、今回の件は、彼らを「大人」にさせてくれたんだと思います。そして、クラスとしての団結感がさらに高まった気がします。この出来事がなかったら、最後のホームルームにはなってなかったんじゃないかな、と思っています。




 そういう意味では、彼の死を無駄にしないために、我々がしっかり生きていかなくてはいけなんだな、って、そんな貴重な経験をさせてもらったんだな、って今は思っています。




 もう大丈夫。本当に彼らは卒業し、社会に出ていけます。そんな生徒たちを育てることができた、その場に立ち会うことができた自分は、本当に幸せ者だと思っています。
 これから自分は、60まで先生をやろうと思っています。その原点をこんな素敵な形で迎えることができたこと、本当に感謝しています。そして、この原点を糧に、また次の生徒を育てていきたいと思っています。



 長々とありがとうございました。