青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 本郷和人氏の『武士から王へ−お上の物語−』(ちくま新書、2007)を読みました。
 

武士から王へ―お上の物語 (ちくま新書)

武士から王へ―お上の物語 (ちくま新書)

 まだ第4章までしかちゃんと読んでないけど(というかもう多分これ以上読まないだろうけど)、なかなか面白かったです。新書ならではの分かりやすさと大胆さがあって。
 

 近年鎌倉時代の政権論として「二つの王権論」という議論があります。これは歴史学をやっている人なら言うまでもなく、そうでない人は意外に思うかもしれませんが、「東の幕府」と「西の朝廷」です。よく教科書では承久の乱以降公家勢力が後退し、鎌倉幕府がさも日本全国を統治して政治をしていたかのように書かれますが、決してそんなことはなく公家勢力も隠然たる勢力を持っています。これを有名な歴史家黒田俊雄氏は「権門体制論」*1として、また佐藤進一氏は「東国国家論」*2として論じています。
 

 ところが、構成主義的な考え方ですが、「そもそも鎌倉時代に国家なんてあったの?」という立場からは、両方の説は「国家」というものを自明視しすぎているとの批判があり、それを避ける意味合いで使われるようになったのが「王権」という言葉。そして「王権」というのは自立した存在であり、後に自律した存在へと変わっていくのだと本郷氏は定義づけしています。



 そうした近年の鎌倉時代の王朝論が本郷氏なりに分かりやすく書かれていますし、歴史学で大事な立場の転換、「国家や支配者ありきの歴史像」ではなく、「在地社会の要求からみる歴史像」の重要性を氏は「実情と当為」という形で示していたりと、なかなか面白い視点で中世の政治を語っています。


 特に自分が授業で使えるのでは?と思ったのは、よく教科書なんかでは鎌倉幕府になって武士がさもそれ以前の王朝国家や公家の政治のように高度な政治をしたかのように叙述されていますが、決してそんなことはない。武士は当初はあくまでも戦闘集団であったから、犬追物などに興じて動物を毎日平気で殺すし、漢字なんて全く分からない、教養のない人たちなわけで。で、そんな政権に訴訟問題が持ち込まれたもんだから、面倒くさいや、って地図を持ってきて、「えい」って土地を半分にしちゃったっていうエピソードなどが載せられていました。
 ひょっとしたら鎌倉時代に平等に土地をわけたんだって教えられる「下地中分」は単に面倒くさいから、って半分にしちゃっただけなのかもしれないって考えてしまいました。


 まあ、要するに自分が思ったのは鎌倉幕府というのは当初は、チンピラやヤンキーが政治の舞台に踊りだされて政治をしたようなもので、そこから徐々に人間としての教養を身につけていったんだっていうことが分かり、自分的には収穫でした。


 新書なので高校の日本史の先生なら普通に「なるほど」って思いながら読めますし、高校生でも大学1年生でも歴史学の楽しさを知る事ができる本だと思います。中世の基本知識がつまっているような感じですかね。まあ、その分学術論文とかゼミの発表とかでは使用できそうにないでしょうけど。



 自分的には鎌倉時代と江戸時代って似ているんだなっていうことも思いましたし。その理由はぜひこの新書で。

*1:簡単にいうと、公家と寺家と武家が相互補完的に政治をしているという考え方

*2:西国の天皇に対して、東国は将軍を中心とする全く別な国家があったんだっていう考え方