青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

社会科とは③〜地域から日本を見る〜

 卒論が近いせいでしょうか?最近になってようやく学問的にものを考えるようになりました。最近あまりにまじめすぎて誰もこの日記を見ていないような気がして少し怖いです。でも、そんなの関係ねえ!×3、セイ、オッパッピー。


 日本史にどう興味を持たせるか。高校の現場が悩む。

 長野県立中野高校(中野市)から徒歩3分。3年の日本史の授業で生徒たちがやってきたのは、いつも過ごしている公園だった。

 公園は鎌倉時代から室町時代にかけて北信地方で勢力を広げた高梨氏の館跡。広さが約1万3000平方メートルもある。建物跡のほか、枯山水様式の庭園跡も見つかり、今年2月、国の史跡に指定された。

 生徒たちを案内するのは酒井健次教諭(45)。「庭に近いところが座敷。こっちは台所だった」と説明すると、生徒たちは当時の暮らしぶりに思いを巡らせている様子だ。

 地元出身で、同校は母校。大学の史学科時代、夏休みに帰省しては、あちこちの発掘調査に参加、教員を目指して就職浪人していた20年前には、この館跡の発掘にも加わった。

 高梨氏は上杉謙信の親類にあたり、謙信と武田信玄の戦いが佳境を迎えたNHKの大河ドラマ風林火山」でも登場している。謙信役のGackt(ガクト)が大好きという女子生徒は、「近所の公園としか思っていなかったけれど、先生の話を聞くと歴史を身近に感じる」。

 同校の大学、短大進学率は2割ほど。いかに日本史に目を向けさせるか、進路指導主事も務める酒井教諭は苦心する。「生徒たちが恵まれた環境にいることに気づいてほしい」と願う。

 館跡からは当時、土器のかけらがたくさん見つかった。「戦いの時、さかずきを割って出陣していったんだ」と酒井教諭は生徒に語りかけた。



 酒井教諭の教育実習時の指導官だった長野県立明科(あかしな)高校(安曇野(あずみの)市)の郷道(ごうどう)哲章校長(58)は、庶民の日本史について今も模索を続けている。仙台市で7月に開かれた全国歴史教育研究協議会の研究大会でも、「歴史用語の羅列の感が強いつぎはぎだらけの教科書から脱出すべきだ」と主張した。

 教科書やノートを持参しない生徒が多い学校での経験も踏まえ、プリント中心の授業を行ってきた。プリントには、だじゃれや漫画の表現など、生徒たちの興味を引くために様々な手法を使った。

 平城京平安京について説明する時は、都の規模を生徒が生活している地域の地図に重ねて写し、いかに造都が大事業だったかを実感させる工夫を凝らした。信濃でのききんの様子など、教科書に載っていない地域の歴史も盛り込んだ。

 生徒がプリントをファイルにとじていくと、授業を終える1年後には400ページの本になる。いわば郷道校長版の教科書だ。毎回、授業の準備には4時間を費やしたという。

 県立歴史館の学芸部長も経験し、教壇に立つことがなくなった今も、地元の絵巻を解説する著書を、ほかの教員らと共に執筆するなど活動している。

 教科書にない歴史から、日本史を少しでも身近なものに感じさせる師弟の取り組みは続く。(大垣裕、写真も)

 高梨氏 鎌倉時代から室町時代にかけて北信地方で勢力を拡大した武士団。武田信玄北信地方に迫ると、高梨政頼は上杉謙信に助けを求めて越後に退去。川中島の戦いでは上杉、武田両氏が、この地域の支配権を巡って激しく争った。1598年、上杉氏が豊臣氏に国替えを命じられると、高梨氏も共に会津へ移り、館は無人となった。館跡の発掘は1986年から92年まで行われた。

(2007年10月19日 読売新聞)


 歴史が嫌いになってしまう理由のひとつに「生徒にとって歴史が身近に感じられない」ということが挙げられます。鎌倉幕府の政治様式だとか、江戸幕府の将軍の暗記だとか、そんなの生徒にとっては全く興味のないこと、そんなの覚えたくないこと、です。それで「歴史=暗記=嫌い」という図式が成立し、授業に興味を持ってくれなくなってしまうわけです。
 じゃあ、どうやったら生徒が身近に歴史を感じてくれるか、一番手っ取り早い方法として「地域に根ざす」という方法があると思います。今回の記事はまさにその典型。実は自分も教科書を指導する際に一番配慮していることが、この「地域史」を教えるという方法です。
 これは自分が青森県を離れて改めて青森県の素晴らしさを感じるようになったことに大きく起因しています。それに加えて、青森県が教科書にあまり登場していないという現状もそれに拍車をかけているんだと思います。
 だから自分は教育実習の際、奈良時代の万葉言葉が津軽弁に未だに残されているんだっていう話をしましたし、これはやっていないのですが、地元にある建物(銀行跡)から第一次世界大戦の大戦景気を説明する方法とか、そういう地域教材のネタは青森県の教員になったら山のように取り上げていく予定であります。ぶっちゃけ自分の卒業論文は裏テーマとしてはそのための概論書の作成に過ぎないわけです。



 ただ、うちのゼミの先生はこういう「身近な地域」を取りあげる現状をみてこんな風に批判するでしょう。「そんな地元に残るやつなんてごくごくわずかじゃけえ、そんなの教えても意味ないじゃろ」って。確かにあの先生の教育理論からしたらそういう考えは大いに成り立ちます。でも、あの先生の授業の根底には結局「身近なものから社会を見る」ことをよしとする思想が流れています。なので論がずれるかもしれませんが、「身近な題材=地域を通じて、時代が見えて」くれば、日本史教育にも少しは意味を見いだすことができるかもしれません。



 



 まあ、敢えて自分の私論を述べるなら自分は完全無欠のローカリスト(地元LOVE)な人間なので、歴史の授業になったら100%地元を教材として取りあげると思います。それで生徒の興味を引いて(引いたつもりになって)満足しているかもしれません。基礎実習も応用実習も地域教材を授業に取り入れたのはいいけど、生徒は基本ポカーンとしていましたからね。あ、あんまり意味なかったかな…って。そういう意味では地域教材も考えものだな、どうせ使うならもっと授業全体に貫かれてないとダメだろうな、っていうのは感じましたけどね。



 歴史教育も興味を引くには物語的な歴史がベストなのかな、とも思いますね。