青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

歴史教育を考える2020

 帰りの新幹線で雑駁に考えて、家で推敲して、ブログに・・・と思ったのですが、推敲できなさそうなので、もう実家に帰るこのタイミングで上げてしまいますね。そのため、だらだらと書きます。また、様々ご意見ありましたら、コメントくださいね。

 

  2020年となった。2013年にスタートした「大学入試共通テスト」まで1年となった。知識偏重ではなく、思考力・判断力・表現力を。これから社会で求められる人材を育成するためのテストを。号令はよかったものの、2019年に英語の民間試験導入と国語・数学の記述問題は実施延期となった。とはいえ、大学入試共通テストのコンセプト自体が消え、センター試験に回帰したわけではないので、注意が必要だ。結局のところ、中学入試で一般的に行われるいわゆる「適性検査」のようなスタンスで出されることは、ほぼ決定している。そういう意味では、「適性検査」を受けている中高一貫教育校の方が優位なのかもしれない。

 

 

 その一方で、こうした求められる人材育成をふまえて、2022年、2023年より相次いで学習指導要領が新しいものとなる。とりわけ高等学校の地歴・公民では、科目変更が行われる。地歴でいえば、「歴史総合」「地理総合」「地理探究」「日本史探究」「世界史探究」である。この科目変更は、とりわけ歴史教育にとっては大きな出来事であり、来たるべき学習指導要領改訂に向けて、様々なところで、研究会が行われたり、書籍や論文が刊行されたりしている。

 

 

 こうした書籍や論文を見ていると、いずれの書籍や論文も、学習指導要領が「見方・考え方」や「実用性」を重視していることから、「何のために歴史を学ばせるのか」に注目して授業研究が進められているように考える。

 

 しかし、その「何のために」が異なっているから面白い。筆者は大まかに以下の4つのタイプがあると考えている。

① 「歴史の内容をふまえた上で、大まかな歴史の見方や考え方」を教えようとする考え方(コンテンツ重視型)

② 「(歴史)学的固有の」思考法を教えようとする考え方(スタディ重視型)

③ 「汎用的な思考法」を教えるために歴史を用いる考え方(ハウツー重視型)

④ 「実用主義」的な歴史を教えるべきとする考え方(エイム重視型)

 

 

 ①のコンテンツ重視型は、いわゆる「歴史事象」を重視する考え方である。新学習指導要領にある「近代化」「大衆化」「グローバル化」の大まかな歴史の見方・考え方を育むためには、内容の理解が欠かせないと考えるタイプで、歴史学者歴史教育を考える際には(あるいは、歴史学出身の教員が歴史教育を考える際には)よく見られる思考である。このタイプの研究者や教員は、今回の学習指導要領改訂を見たときに、「探究→総合」がよいと批判する。それは、「歴史知識を知らなければならない」という価値観にとらわれており、「過去の事実」と呼ばれるものにものすごくこだわる。

 こうしたタイプの考え方の場合、「過去の事実」にこだわるため、学習者のレリバンスが弱くなることと、コンテンツ重視のため、大まかな歴史の見方・考え方をふまえて議論などをさせると、過度に難解になるか、よく分からないまま議論が終わってしまう危険性がある。

 

 

 ②のスタディ重視型は、いわゆる歴史を学ぶ意味を、「学的思考を深める」ことに求めるタイプである。こうした研究者の多くが近年引用しているのが、ワインバーグの一連の研究である。彼は、歴史学者と高校生の思考方略の違いを分析し、歴史学者固有の略として、「確証あるものにすること」「出所を明らかにすること」「文脈に位置付けること」の3つがあることを突き止めた。だから、歴史教育は、この3つの力に注目していくべきであるとする考え方である*1

 こうした研究者が、授業構成論を考えた場合、史資料を多面的・多角的に読み解く授業となる。おりしも、これから始まる大学入試共通テストでは、具体的な授業場面を想定した、史資料読解の問題が多く出題されることから、大学入試を目指す生徒を抱える先生方は、注目しなくてはならないものだろう。

 しかし、こうした研究は、

 ①コンテンツフリー(内容は何でもあり)となる可能性。

 ②批判的思考という高度な操作を生徒に求めていることから、生徒が学習についてこれるのか。それによる意欲の減退はないか

 ③評価の問題。例えば、出典を明らかにして書いていなければ内容が良くても、「A(よい)」評価にならないのか*2

 ④そもそも「学的に固有な思考法」を生徒全員に教える必要性があるのか

 

 などの点で批判も多くある。

 

 

 ③のハウツー重視型は、グループ内での思考方法や思考ツールを身につけるために歴史を使うという考え方である。このタイプは、皆川雅樹氏らを始めとするいわゆる、「AL(アクティブ・ラーニング)」型の研究といえる。その授業の特徴を筆者なりに大まかにまとめると、

 ① 学習内容の確認(KP紙芝居法を用いる)

 ② 学習すべき「問い」の確認

 ③ グループになった討議をする(司会役・記録役などあらかじめ役割分担が決まっている)

 ④ まとめ (問いの答えの記入。また、話し合いで誰が活躍していたか、自分は話し合いにどれだけ参加していたか、などを自己評価する)

 

 といった形式になる。

 こうした形式を含め、知識構成型ジグソー法、クラゲチャートなど、様々な思考法を交えながら、グループ内での議論の仕方が身につくだけでなく、自己評価と相互評価を繰り返していくことで、そのスキルの成長と、互いに認め合う環境整備が行われていくものとなる。

 こうした手法の学習は、思考法を学ばせるという点において、生徒の学習する意味(レリバンス)を担保させることができるため、いわゆる教育困難校で、より「歴史を学ぶ意味」が問われる授業の際には、効力を発揮する。そのため、最近ではこうした「AL型歴史学習」をうたった本や事例集も数多く出題されており*3歴史教育の一つの形として定着している。

 しかし、このタイプの授業も以下の点に課題があると筆者は考える。

 ① やはりこれもコンテンツフリーとなる可能性がある。あるいは、教えるべき内容は学習指導要領を前提としたものとなっている。

 ② 学ばせ方という点ではレリバンスを確保しているが、生徒が出してきた内容の科学性・妥当性をどう判断するか。とりわけ、教育困難校の生徒の場合、過度に過去と現代を同一視する傾向がある。あるいは、歴史事実と異なる解釈を持ってくる場合もある。そこで生徒の考えを無下にした場合、結局「答えありき」の授業となる。

 

 

 こうした批判をふまえた場合に、注目されるのが④の「実用主義」的な歴史学習である。これは、渡部竜也先生の考え方がそれに該当するだろう*4

 氏は、歴史は現代社会を正しく判断・認識するために歴史を学ぶ必要があり、かつ生徒の社会的文脈や「学校外での価値」をふまえた上で、歴史を教えなければならないと主張する。

 その上で、例えば「伝統は本当に伝統なのか?」や「東アジアとはどの地域のことをさすのか?(東アジア=日中韓という認識は正しいのか? フィリピンは東アジアの歴史を構成しているのではないか?)」などといった問いに基づき、現代社会を正しく理解するために歴史を学ぶのであれば、それは意味のあるものだと指摘している。

 しかし、この考え方にも以下の批判がつきまとう。

 ① カリキュラムを抜本的に変革する必要性がある。

 ② 「学校外での価値」や「生徒の社会的文脈」にこちらが勝手に踏み込んでよいのかという問題

 ③ 日本のいわゆる「大学受験」という学習文脈が、実用主義的な歴史学習を阻害する可能性(ぶっちゃけそんなことより、受験に出るもの、教科書にあるものを教えてよという圧力)

 

 

 

 結局、あれもこれもと批判して、お前は結局何なんだ、と言われそうですが。

 なぜ、こうやってタイプ分けをしたのか。それは、歴史教育実践者として、幅を持つことが大事だということを伝えたかったためである。

 例えば筆者が今勤めている学校では、③や④のような授業をずっとやり続けると、おそらく不満が爆発するだろう。また、教育課題校で①や②のような授業をすれば、授業が成り立たなず、崩壊してしまう可能性があるだろう。

 大事なのは、これらの手法を目の前の生徒の「学習状況」や「社会的文脈」に合わせてうまく出し入れすることだろうと思う。

 例えば、福岡県の定時制で日本史を教える前川修一先生は、ある論考にユニバーサルデザインに基づく日本史授業を提案され、その際には、MQ(メイン・クエスチョン)とFQ(ファンダメンタル・クエスチョン)が重要であることを提案されている*5。例えば「律令制度によって整えられた政治制度と税制はどんなものか?」(MQ)に対し、「詳細なルールづくりは、どんな時に強みを発揮するのか」(EQ)という問いを用意している。そのEQは、まさに「社会の見方・考え方」に基づいており、筆者は非常に興味深い。しかし、その動機は以下のようなものだった。

 

 私はそれまでの、おもに日本史を中心として行ってきた地理歴史科の授業のカタチを変えようと思い立った。その理由は、教育改革の必要性というよりは、目の前の生徒たちの変容からなる授業の手詰まり感からだった。

 つまり、先生方の置かれた状況に応じて、開けられる引き出しの数を増やしておくこと。これが、今の教員に求められるのである。

 多忙化する一方で、働き方改革が求められる昨今、こうした「引き出し」を作っておくことが、これからの教師に必要となる。今回のタイプ分けがそうしたきっかけとなってくれたら幸いである。

 

 

*1:詳しくは、池尻良平「歴史資料を用いた思考」 (『歴史教育「再」入門 歴史総合・日本史探究・世界史探究への"挑戦"』清水書院、2019年)参照

*2:これは、今年度の研究員で授業をしていて、自分が疑問に思っていたことである。結果的に、自分はこういうの好きじゃないので、出典のところは見ないで評価したけど。

*3:皆川雅樹氏の一連の著作をはじめ、2019年には山川出版社も『アクティブ・ラーニング実践集 日本史』という本を刊行している。

*4:氏の考えは、『歴史総合パートナーズ9 Doing History:歴史で私たちは何ができるか?』参照

*5:前掲・『歴史教育「再」入門』より