青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

市民性×歴史教育のセミナーに参加しました。

 31日(土)、I-HEAPに参加されている先生方を主催とした、「市民性教育としての歴史授業をどのように評価するか」のセミナーに参加しました。こうした研究が自宅で見られるのは、とてもいいことだな、と感じています。

 特に登壇者の多くが、自分が所属していたゼミの後輩で、現在、若手研究者として社会科歴史教育の分野で活躍されている方たちばかりだったので、とても楽しみでした。

 特に、これから増えてくるであろう、生徒のレポート評価の際の基準がいくつか示されていて、とても勉強になりました。特に、「ただの歴史事実の並べ替え(Lv.1)→歴史事実をストーリーで説明できている(ある程度の関連性が見られる)(Lv.2)→その事象について、政治的、経済的など様々な視点で記述できている(Lv.3)→多形質的(歴史学的)視点で説明できている(Lv.4)」という4段階の評価基準が分かりやすかったです。

 実際の発表では、4人の先生とも、学校現場の文脈に合わせて、自分の歴史教育において研究してきたことを、かなり現場に反映させながら授業しているのが印象的でした。個人的には、1つの出来事がアッシリア帝国とユダ帝国で違う、というのは面白かったですね。また、「日本は単一民族国家か?」という問いをアイヌの歴史からアプローチするのも、現実の授業で追試可能だなと感じました。

 

 

 個人的には、これだけ海外の歴史教育の事例を見てきている先生方が、日本の学校文脈の中で、評価を軸にしつつ、どのような「課題」を生徒に記述させているのか、が気になりましたね。結局、「何を」評価させるか、が重要になってくるので、その課題をどのような問題意識で設定するのか、ここがこれからの歴史教育では重要になってくるのかな、と思っています。

 

 

 

 折しも同日に高大連携の歴史教育の学会が開かれていたことが残念で、おそらく多くの歴史の先生はそちらに行っているのかな、と思います。全歴研でも高大連携でも、歴史総合を考える時に出てくるキーワードが、「帝国主義」や「革命」をいかにとらえ、いかに教えるか、かなと。そういう実践が多いなあ、と感じています。

 そうなると、生徒に課す課題は、「帝国主義とは何か」とか、「フランス革命明治維新は何が異なるのか(明治維新は「革命」といえるのか)」になってくるかと思います。

 ただし、こうした概念を問う課題は、一部の生徒にとっては足場かけのない状態で行うには難易度が高いし、あまりにこちらが足場かけをし過ぎると、解釈が固定化してしまう(生徒が答えを探そうとする)んですよね。

 

 

 それでも、歴史を用語としてではなく、文章で表明させる活動はこれから絶対に必要で、そのための評価基準を教師側が生徒に提示しながらブラッシュアップしていくことが求められるんですよね。でも、そんな余裕あるかな、というのが正直本音ではありますけどね。前任校で160人分の400字レポートを見るのは、マジできつかったもんな。

 

 

 市民性のための歴史教育は、生徒に「意義付け」をさせる上ではとても重要だと思うので、こうした研究がもっと歴史の先生に知られるといいな、と感じています。

 勉強になりました。ありがとうございました。

全歴研の分科会を視聴しました。

  7月28日(水)に、全歴研の第5分科会「教科の枠をこえて、どのように歴史を学ぶのか」に参加しました。

 歴史授業にアクティブ・ラーニング的な要素を取り入れた実践の先駆者である皆川雅樹氏が主催した分科会。全歴研も学習指導要領が改訂されることを受け、数年前からこうした分科会を設置するようになっていて、それだけでも十分革新的だなあ、と感じる昨今。今回の分科会では、高等学校の歴史に関わる先生方がとかく敬遠する、アクティブ・ラーニング的な要素を登壇者の先生方が「いつ」「どのように」取り入れた(取り入れている)のか、についての、ちょっとした「ライフヒストリー」的な分科会でした。

 個人的には、ゆるい感じで本当に聞いていて面白い分科会でした。その上で、自分が思うことをダラダラと述べていきたいと思います。(あくまでも素人意見ということでご容赦ください)

 

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6月・7月に買った本

 ここ最近は、あまり本を読めていなかったのでようやく買った、という感じですね。

 

 

  歴史をやっている人なら読んでほしい一冊。コロナ禍後の格差拡大により、社会主義が再評価されているという。そうして社会主義共産主義的な、いわゆる左翼運動が再評価されているなかで気を付けなければならないことが、現在の日本では左翼と右翼に大きなねじれが生じていることである。本来、右翼は保守的で、左翼が革新的である。つまり、左翼側は、新しい体制を生み出すことを期待するため、人民の武装化を支持することにあります。この本では、戦後の日本共産党が、武装化を支持していたことも触れられており、それだけでも意外性をもって受け止められると思います。

 

 なぜ、日本では左翼と右翼がねじれているのか、それを歴史的にアプローチしている一冊になっています。また、この本を読むと、なぜ左翼の人が右傾化することができるのかも理解できるかと思います。(左翼の右傾化は、1990年代だけでなく、1930年代の転向の時代にも見られる傾向ですよね。なので、この左翼と右翼のねじれが理解できると、転向も理解できるかと思います)

 

 

 

  歴史総合の教材作成のために購入。ある教科書に、「アルメニア商人」の動きが載せられていて、「アルメニア商人って何?どんな役割果たしたの?」で検索していたら出会った一冊。

 アルメニア商人の動きが見えてくると、産業革命以前は内陸の商人たちがネットワークを持っていて、そうした商人を受け入れた国が発展していることが見えてきます。これは、中学の歴史教科書には見えてこない部分なので、ぜひとも高校の歴史総合で説明したい内容ですね。

 それ以外にも、遊牧民イスラム商人、ヴァイキングなど、歴史総合の「近代化」にとって重要な、移動のネットワークの実態を平易に理解できる本かと思います。

 

  これも歴史総合に向けて購入。東京大学の世界史は、世界の成り立ち、とりわけ国家の概念を問う論述問題が多い。また、同時代の他地域の政治体制の比較や、その後の影響などを問う問題も多い。そうした視点から、歴史の「構造」や「概念」を理解しようとする本になっている。

 例えば、「イギリスの革命が世界に与えた影響は限定的だったのに対し、アメリカやフランスの革命はなぜ世界に大きな影響を与えたのか」という問いが設定されている。その際に使われるキーワードが、「いいねが集まるキーワードを使っているか否か」、では、そのキーワードとは何だったのか・・・そんな感じで展開しています。

 詳しく知りたい方はぜひご一読ください。

 

  全歴研の第5分科会を視聴した流れで購入(もともと買おうと思っていた)。

 皆川雅樹氏が様々な高校現場で見てきた「生の」授業を紹介している。もともと皆川氏は、歴史の授業にアクティブ・ラーニング的な要素を取り入れた先駆的実践者であり、その考え方に共感した先生たちが、自身が「実際に行った」歴史授業を紹介している。

 こうした「実際に行った」授業からのアプローチは、とても重要で、今回の指導要領が求めているのが、「生徒自身が問いを見いだし、その問いを解決していくプロセスを追体験する」ことにある。それを歴史でやるのはなかなか骨の折れる難しい作業なのだが、それに果敢に挑戦している先生たちの実践を知ることができる。

 歴史授業に困っている先生は、ぜひ読んでほしい一冊である。

5月に買った本③

  ここ数日で2冊の教育に関する本を買った。

  一つは、元麹町中学校校長の工藤勇一先生の本

 

 もう一つは、教師教育やセルフスタディ研究で有名な武田信子先生の本である。

 

 この2冊の本、アプローチは違えど、主張していることは共通しているように感じた。以下、自分の読んだ感想であることをご承知の上で読んでいただきたい。

 

 

 この2冊の本に共通していること、それは現在の社会情勢によって、子どもが「自律」(自分で考えること)がなおざりとなっている。それは、武田先生の言葉を借りれば、教育のマルトリートメント、より具体的に言えば、大人が子どもに対して教育を「しすぎている」ことにあるという。

 

 武田先生の本では、それを社会的背景から説明している。すなわち、社会的格差が進行していく中で、子どもには「成功していてほしい」と塾に行かせ、いわゆる「偏差値の高い」学校に入学させるために投資をしていること、その結果、子どもの自主性や自律性が失われ、「子どもたちをブロイラーのように商品化する」ような現象が起きているという。

 

 

 また、工藤先生の本の中では、脳科学の知見から、子どもが安心できる環境を作ること、失敗を許容できる環境を作ること、子どものメタ認知能力を鍛えること(具体的には、子どもに「反省」させないこと)などが重要であると指摘されている。

 

 

 武田先生はどちらかといえば、外的要因(社会的要因)の立場から現在の子どもがおかれている教育の問題を示しており、工藤先生はどちらかといえば学校内で具体的にできること、の立場から子どもへのアプローチの仕方を示している。

 

 

 しかし、どちらにも、「子どもにも人権があり、自分で意思決定する権利があり、そうした子どもなりの意思決定を大人は見守ることが重要である」という主張は共通しているように感じた。いわゆる「子どもらしさ」をもっと見直そう、という議論である。

 

 

 確かに、今の子どもは変に大人びているし、達観しているし、成績を人一倍気にするし、自分の立ち位置をすごく気にする。でもそれは、子どもというよりは、それを照射する大人側の課題がそのまま子どもに反映されていると考えるべきであると思う。

 

 

 これは2000年代以降、進められてきた教育の資本主義化、自由主義的改革、結果至上主義的改革の効果が色濃く出ているんだろうな、と感じる。

 だからこそ、そこに気づいている二人の先生が、図らずも異なるアプローチで、もっと「子どもの意思決定」を見直していこうよ、と主張しているように感じている。

 

 

 

 とはいえ、子どもを「見守る」ってすごく難しい。こちら側が手を差し伸べた方が楽なことはいっぱいある。それでも今は、「見守る」ということ、子どもに自分の行動を意思決定させるアプローチが重要であると思う。(この方法は、工藤先生の本を読むと具体的に書いてあります)

 

 

 自分も今年から担任になったし、この本の内容を肝に銘じて、子どもたちに意思決定をさせること、それを「見守る」ことを意識していきたいと思っている。幸い、入学式や最初のオリエンテーションで、担任している生徒たちが、自分の「言葉」や「意思」をしっかり持っている人たちだなあ、ということは感じているので、担任としては安心してそれができている。あとは、こちらが間接的にでも、思っていることや考えていることを、文字にして表出しながら、受け止め方は彼らに任せながら、一年間やっていこうと思っている。そして、それを基礎にして三年間過ごしてほしいな、と思っている。

 

 

 

 いずれにしても、2021年現在の教育的課題をふまえ、社会的にできること(武田先生)、学校現場で心がけること(工藤先生)、を書いているので、ぜひとも読んでみてほしいです。

5月に買った本②

 

なぜ歴史を学ぶのか

なぜ歴史を学ぶのか

 

  歴史学の立場から、「歴史」にいかにアプローチできるかを叙述しているもの。歴史は解釈であるからこそ、フェイクニュースの叙述も「歴史」なんだよね。そうした「歴史」に対して、学問の立場から論じたものになっています。

 

  まだ読み途中ですが、現在の公民教育では「政治的中立性」が課題となっていますが、そうした中立性の議論においては、教師の意見を表明することが重要になっている、そんなことを指摘しています。教師が「中立である」「多様な価値観を示す」ことは、現状の肯定でよい、ということを価値観として暗に教えることにもつながるわけで。

 これから公共も始まりますが、教師のポジションをいかに示すかが重要ですね。

5月に買った本

 

  ケーキの切れない非行少年たちの第2弾。日本では「頑張れば報われる」、「頑張れば応援する」ということがよく言われるけど、世の中には「どうしても頑張れない人たち」が一定数いるということ、頑張り方を知らない人たちがいるということを紹介している。

 特に第4章のやる気を奪う言葉と間違った方法は、昨今の教育現場にも、子育てにも通じる言葉かけの方法が載っています。例えば「もっと勉強しなさい」、「でもな・・・」と本人の言葉をさえぎる、「もっとできるはずだ」「だから言った通りでしょ」「どうしていつもあなたは・・・」など、頑張り方を学んでいない人にとって、自分の経験からの過度な言葉かけは逆効果になることが指摘されている。

 この本を読んでいると、頑張り方を知らない人に対して、自尊心を育て、本人が社会で生活できるようになるって、本当に難しいな、と感じます。でも、自分の職業柄、そうしたことにも向き合っていかないといけないな、と改めて感じます。