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最近、文科省に自殺しちゃうよ、的な手紙が大量に送られているらしいですね。権力論を扱う学問なら基本的なことだろうけど、こういうある意味、上申文書が政府に直接送られているってことは、その中間層に問題があると同時に、社会システム(政府)そのものに大いに問題をはらんでいるということの裏返しでもあるわけです。
で、これを今の教育問題に置き換えると…
と言う感じになります。それで一歩進めますけど、今の問題は生徒個人が教育委員会や学校現場を越えて、直接文科省に窮状を訴えているわけです。つまり、教育委員会や学校現場では助けてもらえない、しかも、文科省がそれを公表したから、水を得た魚のように、こうすれば、自分を救ってもらえるんだと思って、山のように来ている状態ですね。
これを歴史に置き換えてみましょう。この状態は、民衆が中間層を越えて、直接政府に訴えかけているわけです。こうした現象が歴史の中でいつ起きたか、紐解いてみると、室町時代の民衆高揚期、つまり守護大名に対抗する一揆が行われたとき、それから江戸時代の代表越訴に代表されるような百姓一揆高揚期、このあたりが直接的には対応するのではないかと思います。
ということは、この二つに共通している事、それは、その後はただ政府権力が衰退の一途とたどるということです。つまり、何が言いたいかと言うと、教育行政は今や衰退期を迎えているということです。逆に言うと、教育のシステムを変えるなら今ということでもあります。
ただ、僕としてはこれが教育基本法改正に走るのは大いに反対です。それでは江戸幕府が百姓一揆に対して、どうすることもできなくなって、やぶさかに経済システムを揺るがすようなこと(上知とか)をするようなものです。上知とかしたって何も変わらなかったでしょ?それとほぼ一緒ですよ、教育基本法改正っていうのは。
だからこそ何が必要か、諸悪根源たる受験システムの変更が今は急務だと僕は思いますよ。あ、話がずれてしまいました。いじめ問題が噴出しているところの行き着く先には、やはり政府の教育政策の問題が大いにはらんでいるということを忘れないで下さい。それと、教師も人間ですから、見落とすこともあります。教師が万能だと思ったら大間違いです。あとは、教師がみんな悪い先生ばかりではないということ、いじめをなくすと言ったって、何がいじめで、それをどう解決するかっていうマニュアルはほとんどないのです。訴訟解決人として、教師も頑張っているんです。鎌倉時代の引付衆のように、裁判人員を増やすことはできないのです。
もし文科省に手紙を送ることで救われるのであれば、どんどん送るべきだと僕は思います。それが、文科省の省察にもなりますから。でも、それをポストに出す前に、自分は本当にそんな大それたことをしてもいい人間であるのかを自分の胸に問いかけてみてください。それで、思いとどまったら、ラジオをつけてみてください。ラジオは笑いを提供してくれます。ラジオは人間性というものを提供してくれます。そこから、徐々に人間としてのコミュニケーション能力を開いてみてください。