青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 今日は卒論には一切手を付けず、これまで通りの一日を送りました。半端なくテレビも見たし。


 午前はボランティア。今日は社会科の授業を見学した。その先生は学芸大の院を出た先生らしく、僕が見ていても随所に学芸大学らしさが出ていた。特に生徒に対してすんごく気を配る辺りは東京の教え方っていうか、附属の教え方っていうか。あ、本当に学芸らしいなって授業でした。そのおかげでなんだか優しい気分になれたので、いつもは出ない微笑が出てた。それだけ楽しかったんだろう。
 ただ次の時間の数学で大失敗。乗法公式や同類項にまとめるということがうまく出来ない生徒に対して、きちんと指導してあげることができず、僕という存在に飽きているような顔をしてきた。本当に悪い事したなあ。何だか罪悪感でいっぱい。当たり前のことを当たり前でないこととして教えることの難しさを改めて痛感した。
 ってなわけで、最近は週に1度は通ってるから課題とかが少しずつ見えてきたりする。2年3年の時もちゃんと通ってればなあ…。


 午後は授業を聴講してたけど、体調がすぐれず授業どころではなかったし、何だか退屈だった。本当に歴史学というのは意味のない学問であり、ブルジョアジーの学問なのだということをつくづく感じた。もともと学問そのものが古代のスコレー(余暇)から発生した、いわば金持ちの暇つぶしだったわけだからね。ま、これに関する愚痴は後で自戒の意をこめてたくさん書きたいと思います。


 それで後は家に帰ってきてひきこもりさ。途中勉強をしたことはしたけど、今日はしたうちに入らないし。どんどん負のスパイラルに入ってきている。


 そんな中でも生徒諸君!は今日もすごかった。あの生徒たちの心を殺した教師は本当に最低だと思った。だけど、もし自分が山の中で生徒と共に何日も遭難して、それでも生徒のために水と食料を生徒に与え続けることができるだろうか、と自問自答してみると、ひょっとしたら…って思ってしまった。
 あと、やっぱり人間は孟子のいう性善説に基づいているのかなって思った。特に教育の場合はルソーがエミールで言っているような感じだね。まさに今日の放送はそれだね。人は人を通じて教育を受けることで社会性を獲得する。それと同時に目の前の人の影響を受ける。教師は常に見られている存在なのだっていうことを強く感じる。


 まあ、今回のクールの教育関係のドラマはどちらも重くて、あんなの見たら教師になる気が失せちゃうぐらい極端な描写だね。ああいう状態がないとは言い切れないけど、ほとんどの場合は、そうじゃない。特に1年生からしっかり受け持てば大丈夫だと思う。