青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

『社会科研究』の論文を読みました

 今回の論文は、どの論文もめちゃくちゃ面白いです。

 (W先生の論を踏まえたものが多いからかもしれませんが・・・)

 その中でも、いくつかご紹介します。

 

 まず、岩崎圭祐先生の「論争問題学習に取り組みために教師教育には何が必要か」という論文。主権者教育という観点からすれば、論争問題学習を授業の中で扱っていくことは喫緊の課題です。しかし現在の教育では、様々な理由から社会科教師が論争問題を忌避する傾向(自分も含めて)が見られます。そうした状況の中で、論争問題学習をいかに学び、そして実践させていくのか、について、アメリカのヘスとペースの教師教育プログラムに注目して論じています。

 ものすごく要約すると、ヘスのような論争問題を取り扱うための「スキル」を育成し、とにかくやってみようというプログラムに加え、ペースのいう論争問題学習のリスクを知った上で、どうやったら論争問題学習が実施可能かという「ストラテジー」(戦略)を把握することが重要であることを指摘します。

 主権者教育を考える上で、論争問題学習を取り扱っていくことはますます求められていくと思います。とりわけリスクを理解するストラテジーはかなり重要である、と感じました。

 その一方、まだまだ自分が勤務している学校の文脈や歴史を教えているからかもしれませんが、大事だと分かってはいるけど、なかなか踏み出せない・・・というのが実態ですかね。個人的には、そうしたことをやるための事例集みたいなものを作ってくれるとすごくありがたいのですが・・・。

 

 

 

 

 次は、小野創太先生の「困難な歴史(Difficult History)」をどのように探究すべきか」です。この論文では、歴史を学ぶ意味として「批判的社会文化的アプローチ」に注目します。このアプローチに注目することで、バートンらのいう「社会文化的アプローチ」とワインバーグらのいう「歴史的思考」の双方を接続しながら、歴史を学ぶ意味をとらえさせることが可能であると指摘します。

 その上で、アメリカのエリザベス・ジェニングス・プロジェクト(EJP)を紹介し、その授業デザインを示しています。具体的には、マスターナラティブとカウンターナラティブを対比させ、それを資料の分析を踏まえながら探究させていくというものです。(この論文では、アメリカ北部では人種差別や隔離に関する問題は生じていないというマスターナラティブに対して、北部でも行われている事例を取り上げ、それについて考察させています)

 こうした授業は、歴史を学ぶ意味で重要な要素の一つである、歴史認識をめぐる社会的な論争や対立を現代まで通ずる社会問題として取り扱う社会科授業実践において、効力を発揮すると考えられる(例えば、アジアにおける歴史認識の違いなど)。そうした意味では、生徒に歴史を学ぶ意味を意識させつつ、現代社会の分析、過去の文脈を踏まえた歴史学習をする上で、この視点は重要な意味を持つと考えられる。

 ただし、これも個人的には実践カリキュラム(enacted curriculum)のレベルでいえば、まだまだ課題は多いなあ、と感じる。例えば従軍慰安婦や徴用工をめぐる問題は、社会的には重要な課題ではある。しかしそれを、マスターナラティブとカウンターナラティブで対比させて行う内容として取り扱う意味(文脈)があるのだろうか、と言われると、個人的には難しいなあ、と感じる。

 ただ、研究レベルとしてはセイシャスやヴァンスレッドライトのように、歴史主義と現在主義の中間点に位置づく、「歴史を学ぶ意味」を踏まえた研究と位置づけることができると感じる。

 

 

 

 最後に、西村豊先生の「学習文脈は高校生の歴史授業に対する意識にどのような影響を当たるか?」である。個人的に、全社学の研究大会のでも注目していた論稿だったので、今回社会科研究に掲載され、個人的にはすごく嬉しく感じます。この研究では、進路多様校(難関大進学、大学進学、短大・専門学校への進学、就職の4つが共存する学校)の生徒に「学習内容」「学習方法」「歴史を学ぶ目的」「歴史教師に求める授業」の4つについてアンケートを取り、生徒がいかなる学習文脈を持ち、それが生徒の授業意識にどのように位置づけられているのか、を調査したものである。

 この授業のリサーチアンサーを述べるなら、以下の通りとなる。

学習文脈は、生徒が「歴史教師に求める授業」に対して、自己の進路目標を達成する上で有益な歴史授業を望むようになるという影響を与える。そして、生徒が「歴史教師に求める授業」と元来生徒が重視している「歴史を学ぶ目的」が一致すれば学習内容に対する興味も高まるが、一致しなければ学習内容に対する興味は低くなる。

 

 この調査で注目すべきは、どの段階においても、生徒は歴史を学ぶ目的として、「知識や教養を身につける」「現在をより深く理解する」「過去から教訓を学び未来にいかす」の3つが重要であるととらえているという点である。その一方で、「歴史学者のような思考力を身に付ける」という生徒はほとんどいなかった点も注目される。

 つまり、生徒にとって、「歴史学の手法を学ぶ」ことは、ワインバーグの言うように「不自然な作為」であり、これを教えることを目標とした場合には、生徒の学習目的と乖離する可能性が高いということである。

 これは星先生の全社学の論文でも、教師が歴史学的な手法を学ばせたくても、生徒が受験という文脈の中で、歴史の知識を覚えることに転化させてしまうことが指摘されている。また、ワインバーグの論文においても、歴史学を学んだ学生が作る授業は歴史学的作法を重視するが、生徒の学習文脈にはあまり配慮しない。一方で歴史学を学んでいない学生が作る授業は、現代的な側面に注目したり、生徒の学習文脈に配慮した授業となる、という結果であった。ワインバーグはここに歴史教師のアイデンティティを求めているようであるが、個人的には、学習者優先というスタンスで見ていくと、むしろ歴史学を学んでいない学生ほど「よい」授業を作っていると言う事ができる。

 今回の調査は、それが明らかになったことにより、例えば受験勉強を意識した学校やクラスであったとしても、「現在の理解」や「教訓を学ぶ」ような授業アプローチをとっていくことが、生徒の「学びの意味」と合致し、歴史を少しでも学ぼうと感じてくれるようになるということが分かる。

 では、そうした授業にするには、どうしたらよいか。もちろん、「困難な歴史」を学ばせるようなアプローチもあるが、それはやはり高度だと思う。ではどうしたらよいか。それにトライしてみたのが、これから発表する予定のものとなります。

 その意味で、発表原稿にこの研究を盛り込めたことがすごく嬉しいです。とても勉強になりました。