青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

難しい話(脱国家を批判する話)

 以下、自分の考えのはきだめなので、ついて来れる余裕がある人だけついてきてください。


 ゼミ終わり。今日は歴史教育の話。歴教協とうちの社会科教育学とうちの歴史学の先生方をボロクソに言いまくってた。知りたい人は個人的に聞きに来てくれれば、うちの歴史学分野の問題点を教えてあげます。
 今の歴史学歴史教育のブームは、脱国家ですよ。それを書けばうちの大学では間違いなく褒められます。でも、僕はこの脱国家っていう考え方は嫌いです。そもそも脱国家って言ったって脱した先にはEUのような共同体という幻想しか残っていないし、そもそも共同体自体が政治的機能を果たしているかっていえば、そんなことはない!共同体という考え方は政治と経済を別物だと考えてこそ成り立つ理論。歴史認識では対立しているけど、文化的にはつながりだしたよ、っていう思想と同じイメージ。


 だから、経済面ではつながりはあったとしても、政治的統一とか、そういう面は成立しないでしょ。そうすると、政治というのは一国の中で考えていなきゃいけないと思うんだよね。経済的なつながりはあっても、地域には地域の、日本には日本の、外国には外国の領域という中で、それぞれ政治・きまり・思想というのがあるんだから。争いはそれを犯されるからこそ起きるんだよね。
 ゆえに、国家=領域と観点に立てば、脱国家なんていう考え方はそもそも成立しない。北方史だってまだちゃんと先行研究とか読んでないけど、東アジア全体で歴史を捉えるなんて、一見すばらしいことをしているけど、国家の枠組を取り払ってっていうのは政治的には不可能に近いわけ。できるとしたら、経済的な側面でしかない。交易とか。そこが今の脱国家と環日本海史の問題点。


 もちろん政治と経済は密接に関連を持っている。持っているけど、交易してるから共同体だ、国家ではないっていう考え方は違うんじゃないか。だからこそ政治的な国家という枠組の中で、地方史を見直すことも必要では、と自分の復古的な卒論にやる意義を持たせてみたり。ま、そもそも中世に国家はない!と言われたらそれで終わりだけどね。でも、少なくとも国家意識とかは持っていたはず。そして曽我氏*1がそれに従順していたとすれば、曽我氏にだって国家意識はあったはずだと思うのだが。


 こうやって見ると結局、自分が行きつく先は古い思想のリバイバル。でも、リバイバルにだってそこには何らかの意味があるはず。史料を使ってある氏の在地動向、地方から見た中央、中央から見た地方というかつて流行った社会史的な見方を再評価すべきだと自分は思うんだがね。ま、こんなこと報告した日には先生に切れられて終わりだけどね。


 しかし、そうやって考えると批判の対象にならない近世史の先生は偉大だと思う。あの先生がうちの日本史教員の中で辛うじてリベラルな立場を取っている先生だからね。やっぱうちの大学出身なだけある。

*1:卒論でやる津軽にいた代官