青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 修士論文という名の壮大なレポートの形がおぼろげに見えてきた気がします。


 7日、一日中修士論文の報告づくり。素案を考えて、論文をコピーしに行って、府中に本を返しに行って、まんぼう亭(小金井)でラーメン食べて、買い物して、お酒を飲みながらいつものように0字から5時間半かけて、6000字ぐらい作ってやりました。(A4で6ページ)
 初めてひとり酒をしました。もはやお酒でも飲まなきゃやってられない、って感じだったんで。



 8日、修論の報告…のはずが、S先生の指導は一切なし。お互いに報告してお互いのを批評し合っておしまい。そして、先生に言われたのが、



 「とりあえず現場に出なさい。論は後付けでいい」




 …


 …むかついたし、もうこりゃダメだ、と思い、ゼミの先生(W先生)のところへ(自分のゼミの先生は修士の指導権がないので、修士の指導教官は別な先生なもんで)。
 そしたら、話して5分で論立てが一瞬で出てきました。自分が問題にしている、「歴史で討論したいけど、討論のためには歴史の理解が必要だという矛盾がある」というのと、「公民領域で担っている法とか経済とかを、法意識や経済意識の形で歴史に入れたい」っていうたった二言で。
 とりあえず、アメリカのフェントンのカリキュラムを参考にして、「歴史の討論学習・解釈学習」を歴史教育の理想形(高等学校)としたときに、小学校や中学校で何ができるのか、どんな見方・考え方を保障すべきか(もちろんこれは、社会科学の見方・考え方になるけど)、を論じればいい、と言われました。
 



 3時間ぐらい話して9割は愚痴と文句だったのですが、残りの1割で自分の悩みがだいぶ晴れました。
 それと、「お前にはゼミの中でいろいろ教えたんだから、S先生の言うことを、社会科の研究方法(うちのゼミ流の研究方法)に合わせて論じていかないと。別にあの先生に合わせる必要はない。先生である前にあいつも一人の人間なんだから」と言われました。




 何か何でもっと早く自分は行かなかったんだろう、って後悔しました。と同時に、目が覚めました。
 そうだ、自分はこれ(社会科、社会認識、市民的資質)をもっと学びたいと思って、大学院に行ったんだった、と。
 



 なので、これからしばらくの間は暴走すると思います。でも、もうS先生に怒られても知りません。別に指導もしてくれやしないんだから、とりあえず現場を利用するだけして、S先生の前では現場だけで話をして、後期になったらでっかい爆弾を落としてやろうと思います。





 ほんと、うちの研究室は最悪です。あんなんだから社会科教育学は他の専門諸科学からバカにされるんだよな。





 で、今日はバイトしてました。
 明日実家に帰ります。理由は、知り合いの結婚式です。実家に帰ってもやることがいくつかあるので、息つく暇もありません。本も読まなきゃならないし、採用試験の勉強もしなきゃいけないし、結婚式の余興考えなきゃいけないし。この忙しさはおそらく8月の東京都の採用試験が終わるまで続くと思います。