青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 19日(金)、2週間ぶりにボランティア。数学の時間に後ろでふらふら数学教えていたら、一部の生徒に「先生の方が分かりやすい。先生、毎回来てくださいよ」って言われた。ちょっとうれしかった。



 20日(土)、日本公民教育学会に参加。場所は茨城大学。なので朝早起きして、ちょっくら水戸まで。終わってそのまま帰還。日帰りの旅でした。
 ただ歴史好きとして残念だったのはせっかく水戸に行ったのに、水戸徳川家ゆかりのもの(偕楽園とか)が見れなかったことかな。でも、鈍行でも3時間あれば行けるので次は普通に歴史探訪をしたいなと思いました。
 …学会の感想は特にないです。一切交流をせず、単独行動ばかりしていたので。何だか少しもったいなかったな、っていうのが総評です。聞いた発表もそこそこだったし。「お、これは!」っていうのはあんまりなかったですね。



 21日(日)、銀座で北乃きいと握手。が、ループが速かったのと、荷物置くのにもたもたしたので、残像すら残っていないぐらい一瞬で終わった。でもまあ、「髪切った?」と「似合ってます」の二言に対して、元気よく宣伝をしてくれたので、まあ、まあ、満足…かな?
 その後はそのままバイト行きました。



 ある人がブログで10年前の今頃を振り返っていたのを見て、自分も過去の6月を振りかえってみたくなったので過去の6月の日記を見ていた。
 2年前の6月、自分は母校で教育実習をしていたんですね。そしてそこで、「楽しい日本史授業」と銘打って膨大な教材研究を基にして、子どもにも意見を聞いて、とにかく充実した教育実習をしていました。
 と同時に、日記にはその時の実習教諭の言葉がありました。「いい授業だけど、これがゴールであってはいけない。ここがスタートだと思え」と。
 あれから2年、自分は教師(の予備生)として成長できたのでしょうか。
 少なくとも2年前のゼミの先生の批判は、少しは理解できるようになったと思います。
 歴史は歴史そのものや解釈そのものを教えることに意味はない。意味があるのは、歴史の見方そのものなのだ。だからこそその見方・考え方を保障してあげることが教師としての役割である、と。
 頭ではよく分かっているけど、はたして実際にはできるんでしょうかねえ…。
 そんなことを思う今日この頃でした。