青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

全国社会科教育学会@弘前大学

 10月10日、11日と地元、弘前大学で全国社会科教育学会に参加してきました。
 たくさんのレジュメとともに得るものも多い学会でした。



 全国社会科教育学会はどちらかというと授業理論やカリキュラム研究など、「なぜ社会科が必要なのか」というのをとことん追求する学会です。
 なので、同じ歴史(江戸時代)の授業研究でも、日本社会科教育学会では「鎖国をしていませんでした」という歴史学の研究をいかに教えたのか、のようなことをやるのに対して、全国社会科教育学会では「そもそも鎖国とはいかなる社会か」とか、「江戸時代の経済システムはどうなっていて、それが社会にどのような影響を与えたのか」を真剣に(小学生にも)教えることを考える学会です。
 特に、小学校の先生でも、レヴィ・ストロース構造主義という概念を持ち込んで、構造(意味付け)を変えれば社会が変わることを実感させる事例として、その先生が島根の石見銀山の近くの方なので、石見銀山の見学・調査から、そこでとれる銀がどのように使われたのか、さらに貨幣として使われた銀が江戸時代の流通にどのような影響を与え、どのように社会を変えていったのか、を単元で作っていました。
 さすがに優秀な先生だけあって、そこのレジュメは売り切れていましたね。
 まあ、社会科に小学校だから、高校だから、というのは究極関係ないんですよね。よく「子どもの発達段階に即して」と言いますが、それは「教師が子どもに知識構造まで合わせる」ということではなく、「教師が持っている知識構造を、いかに子どもに分かりやすく示すか」というのが「子どもの発達段階に即す」という意味だと思うんですよね。そうでなきゃ、小学校の先生は単なるおバカさんで、高等学校の先生は単なる学者の落ちこぼれ、みたいな感じになっちゃうと思うんですよね。そうならないためにどうするのかを考えるのが大切なのかな、と。





 それと、今回はワークショップの課題研究に出て、模擬授業も経験しました。
 ワークショップに対して自分は少し懐疑的な立場をとります。
 なぜなら、ワークショップは話し合いをする(議論する場の提供)という意味では、すごく意味があるのですが、子どもの社会認識が深化するかは、正直子どもによってまちまちだからです。
 もちろん、これについては科学主義と状況論主義とでの議論があり、今回の報告では、理論構築として、状況論の立場をとる先生が報告していましたけど。
 例えば、明治時代の4人の人物の政策(軍備強化・憲法作成・議会制定・産業推進)を挙げ、どれを優先させるかをランキング付けさせるワークショップを経験しました。
 自分は産業推進を一番にしたのですが、考えの変容には至りませんでした。
 もちろん、他者の考えを聞くというのはすごく重要な活動だと思いますし、こういう活動を全くやらないとなると、それは問題だと思います。思いますが、じゃあ、こればっかりでいいのか、という議論がありますね。
 それに、それぞれの政策をなぜ優先させようと考えているのか、を追求すれば、社会の見方が深まったりしますし。




 方法主義というのは内容とどう照らし合わせるのか、が課題ですよね。
 ま、自分はやっていて楽しかったですし、やってみたい、と純粋に思うのは思いましたけどね。
 ただ、自分の知的欲求が高まらなかっただけであって。



 まあ、こんなに真剣に社会科だけを考えられるのは幸せなことだと思います。この貯金を未来の教えるべき子どもたちに反映できたらな、と思います。