青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

社会系教科教育学会の感想3

 今日、長文で出来る限り書いて終わりにしたいと思います。できれば2本更新したいな。
 今日は、「公民科「倫理」における価値判断力の育成」についてです。
 本来、公民科「倫理」での学習は、一見社会に存在する様々な諸問題を分析し、あるいは答えがひとつとは限らない問題を先人の思想を借りながら分析し、解釈し、自分なりの「答え」をもつ学習にしていくべき、なんだけど、現実は孔子孟子アリストテレスプラトンの思想史学習となっている。さらに、例えば生命倫理の問題を扱うにあたっても、その価値観が明示されていない、などの問題点がある。


 なので、それを解決するための教材開発を行っている。具体的には、エンハンス問題という、いわゆる能力や性質の改良を目指して人間の心身の仕組みに生物学的に介入することの是非を説いている。
 エンハンスだと分かりにくいので、ここでは、レーシック手術(視力を回復させるための手術)と、ドーピングを比較していただくと分かりやすいかと思う。社会的には、レーシック手術に関しては何も言われないが、ドーピングに関しては違法だと言われるだろう。ただ、その価値観も、その人々によっては異なるかもしれない。そんな問題を、近代哲学ではどのように解釈するのか、をトゥールミン図式等を使いながら追体験し、最後に自分の考えを出してもらうというものであった。
 僕はこんな風に感じました。



 で、それをふまえて、僕がメモしたことを羅列します。



  • エンハンスという事例にしぼって研究報告をしたのはとても分かりやすかった。多分、普遍的な倫理における授業構成原理まで論じたいんだろうな、とは思うんだけど、それを論じると話がでかくなるからエンハンスで、っていうのがよかったんだと思う。
  • 多分質問にも出ていた気がするけど、功利主義リベラリズムなどを示す部分の示し方が大事になってくると思う。ともすれば、「功利主義」や「リベラリズム」という単語を教える授業になってしまい、生徒の認識を閉ざしてしまう。この授業は、あくまでエンハンスを事例にして、「功利主義の考え方」、「リベラリズムの考え方」を教えることが大事になってくる。認識と価値の二元論ではなく、認識と価値の一元論で授業を組んでいくことが大切だと思う。
  • そこから派生するけど、やっぱり年間カリキュラムレベルまで派生して、この研究は考えていくことが大切だと思う。一つの事例では、この考え方は定着しないと思う。複数の事例で、同じような考え方を追体験をして初めて、定着できると思う。そして最後には、「功利主義の立場だとこう考える」「リベラリズムの立場だとこう考える」と生徒が言えたら、成功だと思う。
  • この授業の理想はきっと、「おっ、君の考え方は○○さんの考え方に立脚しているね」と教師が言えて、生徒もそれを理解することだと思う。倫理の本来の面白さは、『まんがと図解でわかる 正義と哲学のはなし』に書かれている内容を使って、生徒に意見を聞きながら授業を進めていくことだと思う。僕が倫理を担当していれば、絶対に一年間この本を中心に授業をする。

 とにかく、倫理の研究、って社会科の学会の中でも非常に少ないので、倫理に特化した研究はこれから大事になってくる気がします。山川の倫理が売れていたり、サンデルが流行しているということは、倫理って大事なんですよ。本来は意思決定学習が一番しやすい科目が倫理のはずなので、倫理を基軸にやっていくと、結構面白いものが出てくる気がします。



 倫理は素人だし、トゥールミン図式を完璧に理解できているわけではないので、上っ面なことしか言えませんが、とても勉強になりました。
 ちなみに参考文献にも載っていましたが、これが広く社会科の先生にもみられているだろうことをふまえて、さっきの本(雑誌)を載せておきます。これは、倫理、あるいは公民で、オープンエンドな議論をさせたい時には本当におすすめ。





 ちなみに今年の地理で、スーダンの有名な「ハゲワシと少女」を見せて、「報道か人命か」を問うたときも、結局議論は、最大多数の最大幸福の議論にぶつかるんだよね。「ここで報道をして、未来のスーダンの人たちを助けるのか」、それとも、「今ここにある命を助けて、スーダンはあまり知られないままで、人々が飢え死にしていくのか」って。深く議論はしなかったけど、やっぱりそういう授業ってしたいよね。