青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

日本社会科教育学会@東京学芸大学

 標記の学会に行ってきました。
 当初、初日に共同研究で学会発表をする予定だったのですが、勤務先の宿泊行事が入り、若手は参加してくれと言われたので、泣く泣く発表をキャンセル。2時間睡眠で、その勤務が終わってすぐに行ってきました。
 さすがに東京での学会だけあって、知り合いがすごくいっぱい来ていました。
 自分が聞いたのは、ESDと「効率」の話をしていたものと、労働法のものと、有名な日本史実践者の評価についてでした。
 最初のESDの発表は、自分の教育実習時代の恩師で、さすが、授業での資料や、自らの体験を踏まえながら、生徒の感情、気持ち、判断、行動に訴える授業内容でした。


 質問させてもらったのですが、それが学習指導要領上の「効率」と「公正」、あるいは選択という原理と対比してはいるのですが、僕個人としては、「効率」=最大多数の最大幸福(5人助かるなら1人の犠牲はやむを得ない)と学習指導要領はとらえているけど、それならそれで、生徒なりの「効率」というものを考えさせることが、津波てんでんこという教材では可能なのではないかな、と思い、質問させていただきました。それが「効率」に潜む負の部分、批判させたいことにつながるような気がしました。「ESD」、「効率」など、マジックワードが多かったので、分かりやすく質問もできたのですが、津波の事例や震災を扱う教材の際には、そのマジックワードに踊らされない「何か」を生徒にとらえさせることが大事なんだろうなあ、と感じました。


 だからこそ僕は、それを体験できていないがゆえに、そういう授業に対して一歩を踏み出せていないな、と反省しつつ。例えば、今1950年代でやっている「デモ」について、とかね。学会が終わったあとに、同期の人と議論したのですが、最近の論壇は、3・11以降、それまでの思想を転向させる人がすごく多いな、と。例えば、宮台真司小熊英二なんかも、現状分析しつつも、3・11以降は、「デモに参加してみよう」「参加すれば分かるさ」「デモにいって社会を変えるチャンスだぞ」「自分が受身にならずに、社会に積極的にコミットしていけ(モテる人間になりなさい)」と、行動や主体性を重視したりしている。
 同じように、AKB48にはまる学者や知識層も、「AKBにメディアだけで触れて、批判しているやつは本質が分かっていない」「握手会やコンサートに行け、行けば分かるさ」ということをしきりにおっしゃっているし。
 時間的限界と制約があるから、長い人生をかけて経験していこうとは思うのですが、その契機が3・11である感じが、納得できないよね、と2人で話をしていました。3・11があろうとなかろうと原発はあったし、デモだって政府が市民に危害を加えるような何かをすれば起きただろうし。




 話が脱線しましたが、長い経験や、実際の体験から、あなたはどう思うの?あなたは社会にどう貢献できるの?を問い続ける、そんな先生に学べてよかったな、と思いました。





 あとの2つは面白くなかったので省略。午後の課題研究も「貧困・格差と社会科教育」って感じだったのですが、議論になってなくて面白くなかったので省略。ただ、授業実践や神奈川の高校の公民の先生のパフォーマンスは面白かったですよ。




 改めて社会科に関して深く考えさせられました。また明日からは「社会科」ではなく、「教育者」として、目の前の生徒に向き合っていき、休みの日とか、年末になったら、また「社会科」の観点から反省をしていこうと思います。