青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

歴史教育の矛盾

何だか申し訳なく思う。今回の定期考査、今までトップだったクラスの平均点を最下位にまで下げてしまった。


10月から病休の先生に代わって、中2の歴史的分野を担当している。担当したからには、生徒が将来社会に出た時に意味のある日本史を、と、織田信長が堺を抑えたことが、長篠合戦の勝利をもたらした、や、江戸時代には商品作物の栽培がさかんになり、それにともなって貨幣経済が浸透し、格差が生まれたこと、などを教えた。


しかし一方で、彼らのノートを見ていると、それらがメモとして残されていないこと、女子にとってはそもそも人物名や単語そのものが理解できていないことなど、様々な課題があるな、と感じてはいた。


そこで迎えた定期考査。4クラスあり、残り3クラスは別の先生。当然、作るのもその先生だ。
もちろん、その先生の教え方にそった出題となるので、3クラスが有利になるのは仕方ない。現にこちらが強調していない部分の出題もあった。


それでもあまりにひどすぎた。原因は明確で、テストがよくある知識重視のものであること、そして、自分がそれを授業で、これを覚えてね、とはっきり言わなかったことだ。
これにはこれでもちろんポリシーはあった。でも、できている人の点数がやはり低かった。これでは、この授業は課題があったといわざるをえない。


だから今は、教科書を教える授業をしている。幸い、もう一人の先生が授業作成の担当でプリントも用意しているので、予習をしなくてもできてしまう。そして、それを一貫校だからきちんと聞いてくれる、反応もある…。






最近、この現状で何だかやるせない気持ちになっている。もちろん、自分が授業案を作っているわけではないし、新たに考える時間も今の職場には全くない。
歴史が出来すぎてしまうが故に、そうでない生徒を置いてけぼりにしてしまっている、そういう実態なのだと思います。


職場の先輩の地理の先生が、この学校に来て、時間がない中で授業をしなければならないから、小手先の知識だけは覚えた、と言っていた。今、自分もそうなっているなあ、と。歴史教育は病理が激しい。進学校に来てそう感じます。




得意であるが故に苦しむ。いやはや、いい勉強になってます。
そして、進学校の病理に蝕まれているのかな。自分が。



前の学校は受験を考えなかったので、彼らにとって意味のあるものを、と内容精選をして、教えることができていたけど、やっぱり受験があると、それに屈して教えてる自分がいて、少しでも意味のあるものを、とやると、彼らは聞いてはくれるけど、一方でそれは意味がないよね、つまんないな、そんな話はいいよ、って顔をする。




教科書を教えることが彼らのニーズなら、それはやるけど、僕はそこに社会科の本質があるとは思えないし、そんなの僕じゃなくてもいいじゃん、と常に思う。歴史教育は病理が激しい。進学校に来てそう感じます。