青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

蒙古襲来と「モッコ」の関係

 青森ローカルネタシリーズです。歴史秘話ヒストリアを見て書きたくなって書いています。

 

 青森県の子守唄には、なぜか寝ないと山から「モッコ」がくるぞ、という歌詞が多いです。例えば、地元つがる市木造地区のもの

 

 ねんねんころりよ おころりよ
泣げば山がら もこぁ 来ろぁね
泣がねで 泣がねで こんこせぇ
山の奥おぐの白犬しろいのこぁ
一匹吠えれば みな吠える
ねんねこ ねんねこ ねんねこせぇ

 

 うちの祖母が子守唄で歌っていたのがこれでした。その時に「モッコ」って言っていたのを覚えています。

 また、子どもながら最強に怖かったのが、地元の馬市祭りのクライマックスにあたる、新田火祭り。その時に、巫女の格好をした女性がたいまつをもって踊っている時に流れているのが、赤い鳥の「もっこう」でした*1

 

 


つがる市馬市まつり 新田火祭り 2014 巫女マスゲーム

 

 これを、小学生の時に見せつけられて、そりゃあ、もう、こわいの、なんの。

 

 

 そして、最後は火を放ったところで、青森ベンチャーズの「弥三郎節」でフィナーレですよ。

 


マサ三浦 「Mr弥三郎」 つがる市 (馬市まつり, 新田火祀り) 2012. 8/26日

 

 話が脱線しました(笑)

 

 上の子守唄の歌詞でいう「もこぁ」になっているところが、「モッコ」の部分。

 では、「モッコ」とは何か。基本的には「お化け」とか「怖いもの」を意味するのですが、この語源は「蒙古」に由来します。つまり、鎌倉時代に起きた「蒙古襲来」の「蒙古」です。

 

 

 でも、蒙古襲来って九州地方で起きた戦いですよね。なぜ、九州地方で起きた蒙古襲来の話が、津軽地方に伝承しているのでしょうか。

 

 これには諸説ありまして、自分は以下の説をとっていました。

 

 

 それは、「北からの蒙古襲来」説です。

 

 

 歴史上よく知られる元寇文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2つですが、実は文永の役の10年前、北海道の北に位置する樺太へも蒙古軍侵攻がありました。これが「北からの蒙古襲来」です。大シンアンリン山脈(大興安嶺)を超えて、1234年に金帝国を滅亡させた蒙古軍が、さらに小シンアンリン山脈(小興安嶺)やシホテアリニ山脈を越えて樺太まで攻め込んできたことになります。まさに「山からモッコが来た」わけです。

 

 

 当時、津軽を本拠地にしていたのは、蝦夷管領である津軽安藤氏(安東氏)でした。北条時宗が執権に就任した1268年には、津軽蝦夷が蜂起し、蝦夷管領だった安藤五郎が殺害されています。その原因は史料が残されていないので詳細は不明だが、少なくとも北からの蒙古襲来が何らかの影響を与えていることは考えられるでしょう*2

 

 ひょっとしたら、安藤氏がモンゴル軍と直接対峙し、その強大な力だった「山から来たモッコ」が、恐ろしい存在だったからこそ、子守唄の中で、現在もなお語り継がれている、という説です。 

 

 

 

 しかし、歴史秘話ヒストリアではもう一つの説が紹介されており、そっちの方が「なるほど」と感じています。

 それは、元寇で敗れた対馬の人が、津軽に逃れ、そこで「對馬」姓を名乗ったという説です。

 元寇の、特に文永の役において、対馬は壊滅的な被害を受けました*3

 

 

当時、対馬の守護は少弐(しょうに)氏でしたが、実際に守っていたのは守護代宗資国(そう すけくに)でした。資国は80騎ほどの武士を率いて果敢に戦いますが、相手は3万もの大軍。勝てるはずがありません。資国はじめ、武士たちは全滅。元に占領された対馬は、目を覆わんばかりの惨状を呈しました。対馬の男はほとんどが殺され、捕らえられた女たちは手のひらに穴を空けられ、その穴に綱を通して数珠繋ぎにされ、船べりに吊るされた、と伝えられています。元軍は、対馬で殺戮と略奪の限りを尽くしましたが、これは日本に限ったことではありません。中東や欧州の諸国でも、蒙古に占領地された土地では殺戮と略奪が普通のことのように行われていたそうです。 (侍歴史ホームページより) 

 

 

 そんな対馬から、津軽地方へ移ってきた一族が、自分たちの住んでいた地域である「対馬」を姓として名乗ったとされます。この時の恐怖体験を「対馬」姓の人たちが代々子守唄として語ってきたとされる説です。

 確かに、青森の、特に津軽地方には「対馬」(正確には「對馬」)姓が多い。実家の隣に住んでいた人も「對馬」だったし、中3の時の担任も「對馬」だったわ。

 なるほど。だから、青森県には「對馬」が多いし、対馬の、元寇を体験した人たちが、子どもを寝かしつけるときに脅しのように語っていて、それがインパクト大だから現在にまで、青森県の子守唄として残されたのか、と思うと、なんだか合点がいってしまいました。

 

 

 

 もし自分が青森県で教壇に立って、ここを教えるとしたら、ぜひともこんな視点で教えてみたいな、と思うような内容です。生徒にとってはめちゃくちゃ身近だし、これで「北からの蒙古襲来」も、実際の蒙古襲来も教えられるわけですから。

*1:ちなみに、うちの母親もこの巫女役をやっていたことがあり、それを見に行ったことで、新田火祭りを知ることとなる。

*2:ちなみに、山川出版社の日本史の教科書には、「津軽の十三湊を根拠地として得宗支配下にあった安藤(安東)氏との交易を行っていた。そのアイヌの人びとのうちサハリンに住んでいた人びとは、モンゴルと交戦しており、モンゴルの影響は広く日本列島におよんでいった」と「北からの蒙古襲来」の記載がある。

*3:ちなみにこの時の様子は「アンゴルモア」というアニメで描かれています。。