青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

社会文化的アプローチに基づく社会科授業研究

 

協働・対話による社会科授業の創造

協働・対話による社会科授業の創造

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 東信堂
  • 発売日: 2020/01/15
  • メディア: 単行本
 

 

 これまでの社会科授業研究に新たな一石を投じる本。この本を読むと、特に現場を持っている先生方にとって、自分の実践を研究へと転換できる理論的根拠を与えてくれるのではないでしょうか。

 

 とりわけ第2章と第5章の南浦涼介先生の文章が秀逸なので、立ち読みでもいいのでぜひ読んでほしい。そのため、ここでは南浦涼介先生の「協働・対話という視点によって授業の何が見えるか?ー論理実証アプローチと社会文化的アプローチ-」を要約したいと思います。

 

 南浦氏はこれまで多くの授業研究で行われてきたものを論理実証アプローチとし、社会文化的アプローチとの違いを明確にする。詳細はp.26の表が分かりやすい。

 簡単に紹介すれば

 

  • 論理実証アプローチは基本的に「一般性の追求」、「誰もが当てはまること」、「誰もができること」が重要となり、「転移」できるように伝える。主に草原和博氏による「教科教育分析」と「教科教育開発」の2つを軸とした分析が、それを端的に示している。
  • それに対して、社会文化的アプローチは「その場の中における意味」が重要となる。他の人にとってそれが当てはまらないことであっても、その状況におかれた人の世界を知ることは、私たちの世界にとって意味があるということが重要な感覚となる。そのため、「共感性」(明日は我が身、だからあなたの言うことは私もわかる)というスタンスが重要となる。

 

 ただし、南浦氏の論考の興味深いところは、これまでも構成主義的な立場から社会文化的アプローチはとられているが、そのとらえ方もまた、大きく2つに分けられるということである。こちらも詳細はp.28の図が分かりやすい。

 簡単に紹介すれば、

 

  • 従来の「質的研究による授業研究」は、「ある教室」と規定し、その中で子どもたち同士がある授業の中で対話を進めてい行く場面を記録し、そこから子どもたちの対話の特質やプロセスを分析していくものであった。
  • しかし、もう1つの社会文化的アプローチは、ある空間を包み込む社会関係性まで視野を含む。そうすると、ある子どもたちの発言記録を分析するにしても、教室の関係性だけでなく、その教室の子どもたちや学校の地域的状況が持つ背景にまで視点を入れることができるようになる。つまり、教室の外側に広がる歴史性、制度性、規範性を加味したものとして扱う「分析視点」となる。
  • そうすると、教室空間内の子どもたちの社会科学習は常に、外側の制度や歴史、あるいは言語などに影響を受けていると見ることもできるし、逆に、学習の成果を社会にアウトカムしていくことによって、歴史や制度、あるいは社会の中で使われている言語のありかたや規範を変えていくことにつながるという研究視点も持つことができる。

 

 こうした視点を取り入れていくことで、授業研究による問いはどのように異なるか。その視点もp.31の図が非常にわかりやすく書かれているので、ぜひみてほしい。とりわけ、外側をも含んだ社会文化的アプローチに注目すれば、例えば

 

 「〇〇の社会科実践は、その学校のどのような地域的特性や子どもたちの特性の中で意を持つか(ある社会的文脈のパターン中での社会実践の文脈に対する対抗的変革的価値の抽出、レリバンスと実践の関係性)」

 

 などが挙げられる。

 

 こうした社会文化的アプローチの視点を取り入れることのメリットを南浦氏は最後に2点述べている。

 

  • 社会文化的アプローチの強みは、「現場の多様性」である・・・(中略)・・・社会文化的アプローチはまさにその「困難さ」という文脈自体が重要で、そうした中に絡み取られた子どもたちや教師をどう救うかということ自体が研究としての価値になるのである。
  • 社会文化的アプローチは、「理論」と「実践」の間にある権威関係を編み直し、よりよい協働関係や対話関係を生み出す可能性を持つ。・・・(中略)・・・「文脈」という観点から研究を捉えるからこそ、こうした「教室外」の教育に社会科教育的価値を見いだしていくことができるし、その価値は、結果的に教室の社会科授業を変えていくきっかけになる可能性にも満ちているのである。

 

(感想)

 自分のような授業研究を極めていきたい先生にとって、「私」や「現場」の「文脈」を「研究」として語っていいんだよ、と言われているような気がして、これほど心強い論はないと思う。

 また、自分自身が今求めているのは、「歴史をなぜ学ばないといけないの?学ぶとしたら、どんな歴史授業がいいの?」である。とはいえ、自分の勤務校には、「大学受験」という「文脈」が含まれている。この「文脈」との狭間で行った自分の授業を、受け手である「生徒」がどうとらえたのか、(あるいは、授業者である「私」がどう受け止めているのか)、これを現在研究中である。

 そうした意味では、多様な文脈の多様な授業を「研究」としてとらえ、目の前の子どもたちに有益な授業を提供することができるようなチャンスでもある気がする。

 おりしも学習指導要領が「カリキュラムマネジメント」を抱えているのは、目の前の子どもの状況に合わせて、カリキュラムを自由に組んでいいんだよ、と言っている。だからこそ、先生方が自分を「語る」ことが「研究」となる、そして、「よりよい授業」を構築できる、そんな理論的根拠となるのではないだろうか。

 

 

 ぜひお読みください。