青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

思ったことをつらつら書いてみる②

 もともとこのブログは、自分の思考の忘備録として残しておいているものなので、この超絶に社会科教育(市民性教育)が必要になっている時期だからこそ、残しておかなければならないと思い、書いてみたいと思います。

 ここに書くことはあくまでも超絶主観ですし、支離滅裂に思ったことを書きなぐっていくので、見たい人のみここから先へ

 

 コロナウイルスによる休校措置が始まって、間もなく2か月になろうとしている。この間の社会の変化はものすごい。政治的にみれば、古市憲寿が週刊誌に書いていたし、NHKスペシャルでもやっていたが、安倍首相が独善的に見えて、実は調整型の政治をしていて、麻生さんと菅さんとのトライアングルで役割を分担していた。しかし、今回のコロナをきっかけに、安倍首相が専権的に物事を決めた結果、菅さんの気持ちが離れていることでこのトライアングルが崩れ、その政策がことごとく国民のひんしゅくを買うなど、裏目に出てしまっているという実態(すなわち、安倍首相は専権横行な人物ではないということ)が見えてきている。

 また、経済的にみれば、世界恐慌以来、むしろ統計史上最悪の経済危機であるとか、その他諸々である。

 

 でも、自分は教育畑の人間なので、教育のことについて書いていこうと思う。

 今回のコロナの問題で、一番叫ばれているのが、教育の機会均等の問題である。つまり、学校がなくなり、みんなが同じところに集まって、同じ内容を、同じ時間に学習することができなくなった。それによって、例えば経済的に余裕のある家庭は、自学自習ができたり、塾に行けたりするが、そうでない環境の家庭は、そもそも学ぶことができないのではないか。また、オンライン授業が推奨されているが、そもそもそういった通信環境がないところもあるし、どうするんだ、みたいな話である。

 

 個人的には、誰かがTwitterに書いていたが、こうした状況になった時に、みんなを平等にする、すなわち、形式的平等をすることは不可能である。だから、我々は本当に必要な子どもに重点的に支援をする必要がある(実質的平等)と。自分もこれに同意する。

 

 

 だからこそ(これまで赴任してきた学校の影響なのかもしれないが)、自分は今回の件はかなり楽観的に考えている節がある。例えば、自分の専門である社会科については、ぶっちゃけ教科書でやることなんかは、自分が教える必要がない。日本史でも世界史でもうまい人が、某なんちゃらサプリとか、有名なユーチューバーが動画をあげてくれている。それを見たほうがいい。去年、高校生の日本史の授業で調べ学習をさせた時に、教科書の内容に準拠した問いを出し、サーフェスも与えていたら、彼らは某なんちゃらサプリをみてまとめていた。まあ、そんなもんである。

 それに、「墾田永年私財法」を知らなくても生きていける。「カルスト地形」を知らなくても生きていける。そう思っている。(とはいえ、墾田永年私財法が、国家が土地の所有権を認めることで、税を徴収しようとしていた、という理解を深める点で知るなら話は別である)

 とはいえ、最低限知っておかなければならないことはある。それは、本を読めることと、字が書けることと、計算ができることと、社会的につながることと、だまされない術を身につけること、だと思っている。

 幸い、今の勤務校は、基礎的な素養は身につけている生徒は多い。また、家庭の支援も得られる生徒が多い。そういう意味で、自分は楽観的にとらえている。むしろ、今の勤務校の生徒は、これをきっかけに、ドリル的な学習ではなく、もっと本を読んだり、外に出て遊んだりしてほしい(まあ、不要不急になっちゃうかもだけど)、と思っている。つまり、一番最後にある「だまされない術」である。

 

 だから、この期間、うちは「むしろ学校に来ないでくれ」となっていて、管理職以外は事実上、自宅勤務となっている。また、土日は部活動もなくなったので、ずっと家にいられるから、テレビをたくさん見ることができたりして、何だか大学1年生・2年生(2004年から2006年頃)に戻った気分である。つまり、自分がいろんな思索を深めていた時期(詳しくは、この日記をさかのぼると見られます)なので、改めて、忙しく働いた自分の心とからだを休ませることができている。本来ならこの時期は、学校行事運営と部活に奔走して、毎日夜遅くまで働き、土日も休みなし、の状態だった。去年のGWは10連休だったと思うが、自分は1日休んだだけ。そんなもんである。

 

 だからこそ、心を落ち着かせて、いろんなことを考えられている。

 ちなみに現在、うちの学校はオフィス365を活用して、オンライン体制を構築している。一応、オンライン上は生徒とつながる環境が整備されている。

 

 

 で、自分は何をしているかというと、今までと言ったことは矛盾するかもしれないが、授業動画を毎日アップしている。特に授業の進度上、授業ができない現代史と、早く進めたい原始~古墳を軸に、毎日少しずつ動画をあげている。需要はなさそうだが、これも、今の学校の、今教えている生徒のニーズ、に合わせた、自分が今できることだと考えてやっている。つまり、衣食住はある程度足りている、だけど、塾の支援は得られないかもしれない、そんな中で自分の専門である日本史でできること、と考えた時に、いつでも見られる、いつでも学べるように、教材を共有ファイルにストックするというやり方、である。

 

 

 これは私見だが、5月6日に非常事態宣言が解除されることはないだろう。ウイルスとの戦いは、どの時代の歴史も示しているが、1年以上の戦いとなる。局地的な感染状態であっても終息には3か月はかかっている。

 となると、今後はオンラインでの授業を、うちでもやることになるのだろうな、と思っている。

 だけど自分がもしやるとしても、おそらく日本史の講義はしない。それは普段の動画やスライドを見てくれればよい。

 むしろほしいのは、「何が分からないか」の問いである。問いのないまま受容していることほど危険なものはない。だから授業が始まったら、生徒との質問を軸にやっていきたいと思っている。(とはいえ、自分が語りすぎちゃうから注意しないと)

 

 

 今ほど、社会科教育が、そして歴史が必要な時はないと思っている。安倍首相がアベノミクスを始めた2012年に自分が思っていた未来が、やってきてしまったな、と感じている。だからこそ、恐慌の時代に学ぶ必要がある。自分は、恐慌の時代や不況の時代になった時ほど、「正しく怖れる」ことが重要だ、と生徒には伝えている。まさに「正しく怖れ」ながら、次の未来を模索していかなければならないんだな、とそう感じている。