青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

ねぶたは地域へ帰れるか②〜つがる市ネブタ祭り

 昨日の青森ねぶたの前夜祭はかなり盛り上がったみたいですね。いいなあ…。そして、昨日からは弘前ねぷたも開幕。そして、今日からは青森ねぶたも開幕します。今年はどんなねぶたなんでしょうか。すごく楽しみです。
 というわけで、この鬱憤を晴らすためにやっているこのコラム。2回目は地元、つがる市木造地区で古くから行われているねぶた祭りについてです。
 木造地区のねぶたの歴史は古く、江戸時代の末期には既に弘前や黒石から祭りが伝播していたそうです。ちなみに本来、木造地区は「ねぶた」ではなく「ねぷた」なんだそうです。これは、伝播の関係で、五所川原ともつながります。ですから、語句の上では、方言上の伝播の違いだけであって、必ずしも「ねぶた」=人形型、「ねぷた」=扇型とは限りません。さらに、扇ねぷたが主流になるのは、明治に入ってからですからね。
 さて、そんな木造ねぶたなんですが、僕は物心ついたときから、母方の祖父の影響と、かつて住んでた町内がねぶたを出していた影響で、参加をしていました。しかし、ねぶたのない地区に引越し、さらには、笛を挫折。それがトラウマになり、小5からはどこにも出ず、ひらすらカメラでねぶたを撮りまくることに。そのコレクションはもう数十冊とあります。


 木造ねぶたは、完全に地域に溶け込んだ祭りだと僕は思います。特に、観光アピールをするでもなく(「県下一早いねぶた祭り」はアピールしてますけど)、町内のもつけ衆たちが、わもわもって負けじと木造独自の喧嘩囃子を鳴らしまくる。そこには地域に根ざした祭り本来のあり方が見えてくるのではないでしょうか。


 そんな木造町も昨年、つがる市となり、大幅な祭りの変更を余儀なくされました。車力村森田村にあった花火大会は隔年で交互に会場を変えての開催となりましたし、木造にあった三新田まつりと馬市まつりが合体して、馬市まつりになってしまいました。そんな祭りの変更の中にあっても、ネブタ祭りだけはほとんど変更することはなく、しかも今年は旧柏村から運行団体が参加するということもありました。それだけ木造の人はねぶたを愛し、もつけ魂に火をつけて、あの3日間を楽しむんだと思います。今後は、他の地区からもねぶたが参加されればもっと盛り上がるのではないかと僕は思います。木造のねぶたから、つがるのねぶたへ、つがる市ネブタ祭りの挑戦は始まったばかりです。


 ちなみに木造独自の喧嘩太鼓は、青森県のねぶたのお囃子の中では一番好きなお囃子です。僕は、これで育ったと言っても過言ではないですからね。木造ねぶたはある意味、僕のねぶたの原点でもありますので、絶対に今のままでいてほしいなと思います。


 ねぶたは地域へ帰れるか、次回は五所川原立佞武多祭りです。