青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 いやあ、今日はとばっちりを受けて、コンビニの指導案をボロカスにたたかれた。泣きそうになるくらい。でもそもそも大学の先生ってあのぐらい辛口の方がためにはなるし、コンビニの指導案なんて、地理の範疇で適当に作ったから、「こんなもんやって何の意味があるの?」って言われても致し方ない部分があるんだけどさ。
 にしても悔しいわあ。そこそこ頑張って思いいれがあるだけにね。でも、とりあえず同じ科の人からがそれなりにフォローしてくれたり、褒めてくれたりしたので、その辺はすごくありがたいなあって思いました。でも、一度落ちてしまったものは、元には戻らなかった。終始テンションダウンな一日でした。


 で、一回ボロカスにけなされると、全てが嫌になってしまうのが自分の悪い性格でもあり、それを逆手に取れば批判力の塊になるわけですね。


 そういうわけで、今日のお話は「社会科って必要なの?」について。現在、教育再生会議っていう学校現場のことをほとんど反映していないしゃべり場みたいな人たちが作っているサークルが指導内容の1割増を掲げている。で、その中には「算数(数学)と理科の強化」、「言葉の力に代表される国語力の強化」、「国際人としての英語力の強化」が掲げられているわけです。
 現行の授業時数が週28時間。これが1割増となれば3時間程度増えるということで、国語と算数(数学)と理科と英語を各1時間増やしたら、嫌がうえにも1時間足りない。で、芸術科目は既に限界まで減らしている。ということは、次にしわ寄せが来るのが…。


 そう、社会科。ちなみに今そのボロカスにけなした先生が教育法の授業で、地理教育について講義しているんだけど、内容としては「教科書で学ばせる」という観点、それ以前に「地理っていらなくねえ?」っていう話をする先生なわけです。
 確かに、センター試験一つとっても、あんなのいちいち地理という時間でやらなくても、世界史と公民とちょちょっとやって、それに市販の世界の特徴みたいな本で世界の特徴を覚えたら、だいたい9割は取れる(らしい)。そんなことしなくても、常識的に考えれば5割は確実に取れる問題ばかり。高校の学習の一番の拠り所であるセンター試験すら、地理を見捨ててるわけです。
 もちろん、本来地理で習うべき力は必要。必要だけど、それは他の分野でやればいいだけで、何も「地理」っていう科目でやらなくても…。っていうのが、どうも強調したいらしい。これはこれですごく刺激的だし、この概念を取り入れれば、地理の部分を他の部分にまわす事は可能になるだろうね。


 だいたい織田信長とか、鎌倉幕府の封建体制を知って楽しいか?みたいなことを言い出しそうな先生なので、何とも言えないのですが、つまるところ、社会科という科目は国があんまり保障してくれない分野であることは事実だと思う。なぜかって?そりゃあんまり社会の事を知りすぎたら、政府にとってまずいからでしょうが。だから公民の政治は、政治システムだけやって、それ以上は深入りしないわけですよ。だからあの先生に言わせたら、「子どもが興味を持つのはそんなきれいごとではなくて、もっと社会に即した、矛盾した部分なんだ」ってことなんでしょうか。


 まあ、難しい話をつらつらと書きましたが、とにかく社会科という科目が現行の科目の中で設定されている以上、しかも、これ以上増える事がない以上、さらに言えば、地域を調べるなどといった方法主義ばかりをやって、知識・内容的には大きく削減されている以上、何を伝えるのかを選び取る能力は社会科の教師にとっては必要不可欠な要素となるでしょう。それが「現実社会の諸問題」に即していれば、文句ないんじゃない?、生徒も食いつくんじゃない?っていうだけの話です。