青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

社会科とは⑥〜クラスという社会を活かした社会科を〜

スピーチが世の中への関心を高める。

 東京都文京区の筑波大学付属中学校では、全学年の社会科の授業で毎回、生徒1人が新聞記事をもとにした「私の一言」という3分間スピーチをしている。

 9月19日の3年1組では、寺尾英利加さん(15)が保育料を滞納する親が増えていることを指摘する記事を取り上げた。滞納額が約84億円、滞納者も約8万5000人にも上るという記事の概略を説明。「子供を育てることをあまり軽視しないで。ちゃんとルールを守ってほしい」と締めくくった。

 ほかの生徒たちは、スピーチ内容をノートに記録しながら質問もする。テーマは、消費税、安楽死京都議定書、レジ袋の有料化、憲法改正国民投票年金問題など様々。その後の授業に直結しなくても、自由に選ばせている。

 1年生だと、まだスピーチもつたないが、館潤二教諭(55)は「社会で起きていることについて自分の頭で考えることが大事だ」と強調する。

 授業の教材に新聞記事を使うことも多い。選挙制度の仕組みを解説する時には、自民党が圧勝した2005年9月の衆院選東京地区の開票結果の記事を配り、民主党が勝利した今夏の参院選と比較した。

 中国残留孤児問題など扱いが難しいものは一般的に敬遠されがちだが、「それこそ社会科の本領」と積極的に取り入れてきた。

 社会科準備室にある机の引き出しは、テーマごとにファイルされた記事の切り抜きが新しい日付順にびっしり。「授業の内容に合わせて、すぐ取り出せるようにしている」という。



 スピーチを通して社会への関心を高める授業は、他の教科にも広がっている。

 宮城県立仙台向山高校の穂積暁教諭(35)は、近現代史中心の世界史Aで、生徒が関心を持った新聞記事を授業中に発表する。授業が終盤を迎える1月いっぱいで全員に経験させることにしている。

 イラク自爆テロの記事を発表した時は、イスラム圏の歴史や宗教の授業を展開した。「最新のニュースを扱うことで、生徒が現在までの歴史的なつながりを実感することができる」という。

 同校は、多くの生徒が大学進学を希望しているが、1年生で世界史Aを必修としている。学習指導要領では世界史A、Bいずれかを履修すればよいが、世界史で大学受験する文系生徒は2年生以降にさらに世界史Bを選択履修する。

 生徒が選ぶのは、必ずしも歴史につながる記事ばかりではないが、「まず社会に関心を向けることが大切です」。生徒たちの現代社会に関する基本的な知識や問題意識の不足を感じてきただけに、1年次に一般教養の性格が強い世界史Aを履修する意味は大きいと考えている。

 「知識を身につけることと、社会に関心を持つことは車の両輪」と穂積教諭。両方を身につけるために、スピーチが一つの手段となっている。(大垣裕、写真も)

 地理歴史と公民 高校の社会科は1994年から、地理歴史と公民の2教科に分割され、世界史、日本史、地理はA(2単位)とB(4単位)の科目ができた。世界史Bは通史的で、Aは近現代史を重視する。公民は「現代の社会について主体的に考察させ、理解を深めさせる」のが目標で、「現代社会」か、「倫理と政治・経済の2科目」のどちらかを選ぶ。中学では、地理や歴史を学んだ後、3年で公民的分野を学ぶ。

(2007年10月23日 読売新聞)


 今日は「新聞」と「スピーチ」についてですね。この二つは現状を指摘するまでもなく社会科という教科において基本的な題材&方法であると自分は考えます。


 しかしこれがクローズアップされるということは今の社会科では決してそれがなされていないということです。幸い自分は今年の応用実習の際、「スピーチ」とまではいきませんでしたが、生徒に意見を書かせたり、あるいは高松塚古墳壁画解体という時事問題を取り扱うことができました。社会科はただ知識を覚えるだけではいけません。やはり「知識を生かす」という活動、それから「(それが意図的であったとしても)自分で知識を得る」という活動が大事だと思います。


 その意味で「新聞」と「スピーチ」というのは非常に大きな意味をもつと思います。自分がもし高校の先生になったら、現代社会とA科目など受験とあまり関係のない科目については「スピーチ」を導入しようかなと考えています。


 記事にはボソッとしか書かれていませんが、こうした活動には絶対的な「慣れ」の作業が必要です。最初は抵抗があるだろうし、自分の経験からいうと生徒は世の中には関心がない、しかも部活やら他の教科やらで忙しい、そんな中で宿題みたいに課されたらたまったもんじゃない、だから敬遠されてしまう実情ってあると思います。
 でも要は「慣れ」れば問題がないわけです。最初は新聞でなく生徒の身近にある感想文でいいんです。別に社会科と全く関係なくったっていいんです。ぶっちゃけ何を発表したってそれは「現代社会」だし「社会科」なんですから。あらゆる教科につらなっている問題解決学習の最終段階は「自分で答えを発表する」という活動です。これは今数学や理科でさえ行われています。そんなの社会科ができないはずはない、と自分は思います。新聞はそのネタ基でしかないわけですから。


 おそらく現行のA科目はそれを意図して作られたのだと思います。世界史必修はまさにそれを意図して作られたのでしょう。でもそれだったら「現代社会」とかぶるから、ぶっちゃけAなんていらないっていう議論にもなります。まあ、自分の考えだとAはいらないとは思いますけどね。


 社会科の醍醐味って生徒の意見を聞けることだと自分は思います。せっかくクラスという社会があるわけですから、その社会を利用しない手はないと思いますけど、どうでしょうか?