青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

 昨日は授業に出ていました。特に教育学における「他者」論には感銘を受けました。子どもを理解するためには、教育方法学や教育心理学を安易に頼りすぎることへの批判。と同時に、すべての子どもに等しく教育を施すことができる、という幻想。完璧な教師、という幻想への批判。
 だけど、今の世の中が完璧な教師を求めているという現状にあって、何が教師にできるのか、その辺がもう少し知りたかったですね。
 まあ、「他者」論の話は今までこの日記でも何度か出ているルーマンの発想ですよね。
 特に、大人は子どもがコントロールできる範囲にいて、その範囲で教育をしているということに対する鋭い批判ですよね。結局、「子ども中心主義」を唱えるやつほど、実は子どもを縛り付けているというパラドックス。そして、子どもがその範疇を超えると「ダメ」なやつとレッテルを貼るか、自分を「ダメ」なやつだと、ラベリングしてうつになるか、のどっちか。
 でも、今の子どもは確実に教師を超える存在であり、むしろ超えていってほしい存在である。教師は悔しいけど、そこのプライドは捨てて、最終的には子どもが自分で学習できるように支援してあげる存在にならねばならないのです。でもでも、それには教師の技術が確実に必要なのであって、それが教師の専門性だと自分は思います。そして、社会科における専門性こそ、探求主義社会科だと自分は思っています。
 


 だから、今の教師、というか今の我々は、他者が何と言おうが、何を感じようが、自分のアイデンティティを強く持つことが求められているのだろうな、って感じました。




 最近は教師や人間がおかれている社会的状況みたいなものに興味を持っている自分です。
 今日は無難に一日が終わりました。