青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

市民性教育を考える3〜市民といえども公民なのです〜

 ルネサンスは1週間お休みらしいですが、こっちは採用試験もあるので、早めに終わらせます。
 というか、採用試験近いから適当に書くので論がばらばらでも気にしないでください。

 市民性教育の背景には
 1.選択能力を養うこと。

 2.社会に出て役立つ教育を

 3.多くの人と出会い、精神的な豊かさ、社会にかかわる力の育成を。



 の3点があり、これまで1と2を述べてきた。簡単にいえば、社会の複雑化と、実質陶冶の2つである。
 今日は3についてである。



 3については、これまでの地域との関わりを見ていれば分かる通り、多くの人と触れることにより、社会で役立つ力を育成するだけでなく、そこから「生き方」や「考え方」などを学び、地域への積極的参加、及び愛国心愛郷心の育成を目指すものである。



 実はこの3がくせ者なのである。具体的には
1.社会にかかわる力=社会参加を強制する可能性がある
2.個の生き方への積極的介入の手段として使われている


 この2点である。


 まず1についてであるが、例えば選択社会の時間で、「放置自転車の問題を解決しよう」という問題を立てたとする。子どもは、放置自転車の何が問題なのか、どうすればよいのか、それをどう伝えればよいのか、を考える。そして、実際に地域の行政機関に向けて解決方法のメッセージを発する。こうした授業が、よく市民教育の「典型的事例」として取り上げられる。
 こうした授業のよさは、これまでに述べた、社会参加のために必要な力、社会で役立つ力、問題解決力の育成などが挙げられるだろう。
 しかし課題として、例えば子どもがそうした問題を切実に考えているのか、いない人間にこうした問題を考えさせることは問題の「押し付け」なのではないか、という点がある。
 また、例えば政治学習においてマニフェストを実際に調べて模擬投票をさせるといった事例もある。こうした授業も背景には、「選挙があったら投票しましょう」という隠れた規範が存在する。



 

 このように市民性教育は、子どもたちに隠れた態度育成を強制する。
 もちろん、それ自体は起きてしまうことなのでやむを得ないと自分は考える。しかし、この問題の根っこは
 これを政府がうまく利用しようとしていることと、そうした策略にはまって教師が無自覚に行ってしまうことの怖さである。




 これが次の2の問題につながる。



 市民性教育は一言でいえば、子どもたちを「無自覚に日本人にするための、地域で生きる人間にするための、装置」(=子どもたちを社会化する装置)として使われてしまう危険性を有している。しかし、本来市民性教育とは、「市民としてよりよく生きる」ための教育であり、それは必ずしも日本や地域に順応して生きるための教育ではない。むしろ、日本の在り方を批判し、よりよいものにしていくため(社会に対抗するため)の教育であるはずである。



 しかし、現在の日本の教育は、そうなっていない。むしろ今すすめられている市民性教育ですら、国民教育の一環としてとらえてしまおう、というにおいがする。しかも、目に見えない形で。


 例えば、職業観を育むための教育を、ルネサンスの事例のように計画を立て、生徒が協力し合って運営していけるようなシステムがあれば、まだ有効である。しかし、多くの学校ではそうなっていない。
 しかも、キャリア教育を「子どもが主体的に自分の進路を選択、決定できる能力を身に着けたり、働き方や目標とする職業を具体的に考えたりするための教育」と称して、子どもに「夢を見つけろ」「自己実現しろ」という生き方を強制する。
 職業選択は決して自己実現のためだけの教育ではない。夢の実現と言っている人ほど、正規の職についていないのが現状ではないか。自己実現という名のアメをふりかざして、いつまでも子供に夢を持たせ、ピーターパンみたいにさせておいて、いざ定職につけない社会の現状を、すべて「今の若者はダメだ」といって若者に責任をなすりつける。
 こうして生き方を強制しておきながら、最後は選択した個人が悪いんだ、という自己責任論にもっていく。これを政府は現行の教育は、ラフファイトのように目に見えない形で行っている。



 ここまでのまとめとしては、市民性というかっこいい言葉で目に見えない形で国民育成をしているのが今の日本の市民性教育であるということを指摘しておく。
 その上で次回以降は、同列にとらえられがちな社会科と市民性教育との相違点を述べていくこととしたい。



 ここまでのまとめ
1.市民性教育が叫ばれたのは、社会の複雑化と、それに伴う価値観の多様性からである。
2.そのために、自分で主体的に選択できる力、社会で生きて働く力、社会に積極的に参加する力が求められた。
3.社会に参加することは同時に精神的な豊かさを育むという点でも効果的である。
4.しかし、市民性教育は、社会参加を強制すること、と同時に目に見えない形で生き方に介入するという点に大きな問題がある。
5.特に日本では市民性と称した国民育成が目に見えない形で行われている。これこそ日本の市民性教育の抱える課題である。