青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

問いの構造図から作る科学的探究学習の構成原理ー構造化しない「なぜ」学習の問題点ー

(要約)

 加藤公明実践のような「1つか2つの資料の読み込みに時間をかけ、議論をさせてはどうか」という批判への批判

 加藤実践自体は意識的に、前の時代(これまでの授業)で獲得した見方を活用して資料の読み込みを行わせている。ただし、

 1.生徒に探究の主導権があるため、その時代の構造について複雑かつ深い理解に到達することが難しい

 例えば、「江戸時代になぜ商品作物が重視されたのか」、「上方優位だった経済が江戸優位に変化したのはなぜか」の方が、今日の日本経済を理解したりする上では有益ではないだろうか。

 2.生徒に探究の主導権があるため、時間がかかってしまい、単元の合間に教科書を講義式で行わざるを得なくなる可能性がある。

 3.民衆中心に見ていくと、どうしても為政者や特権階級の人々の視点が欠ける。そうなると、各時代の特色や構造を理解するための阻害要因になってしまう。

 

 

 グループワーク中心アプローチの人たち「もっと子どもたちの主題的な学びを重視・尊重してはどうか」という批判

 例えば反転学習(事前に問いを投げかけて調べ、議論させるもの)も、事前に調べてくると、いずれの解説も似通っていたり、学説に論争がない場合は、「定説」をまとめて終わりになってしまう。つまり、「答え」が一つに収束していく。

 ジグソー法で行っても、結局調べてくると、あっという間に答えが画一的となる。

 また、「なぜ」という問いについては、時間をかければ量的に回答や仮説が増えるものの、質的な深まりを持たない。

 同時に、「なぜ」に対するそれぞれの仮説を並列的にずらずら挙げるにとどまり、それぞれの仮説間の結びつきを体系的にできない(できても単純な部分で留まる)という特徴がある。これは、我々教員がつくる「なぜ」授業にも同じような特徴がみられる。

 

 学生がつくってきた「イギリス産業革命はなぜ生じたのか?」の指導案

 =産業革命は5つのM(資本、労働力、資源、市場、機械)の条件がそろったことによって生まれた。

 

(この指導案の問題点)

 このうちのいくつかは、後から成立した条件(例えば、労働力は、産業革命の時にそろったのではなく、産業革命の進展とともに生まれたものである)であり、明らかに学説と異なる。

 

 こうした指導案になってしまうのは、「問いの構造図」ではなく、「知識の構造図」に基づいて指導案が作成されているためであり、かつその回答を要素別に並列的に並べていること、同時に教師側に仮説間のつながりを体系的に、紡ぎ出す力がない(または紡ぎ出す必要を感じていない)ことが原因と考えられる。

 

 

 このように、我々の作る「なぜ」授業の多くが、「知識の構造図」に基づいて作られている(初めに教えるべき知識ありきで授業が構成されている)。こうした「なぜ」授業は、内容が不正確になったり説明不足になったりする温床となり、回答の質が深まらないばかりでなく、「すべての条件が完全に揃わないと物事が生じない」という決定論・運命論的な社会認識を促しかねない。これでは民主主義社会の形成者という視点から見ても阻害要因となる。

 

 

(コメント)

 自分自身、歴史授業においてはこの構造化しない「なぜ」学習をしている。それは、歴史はそもそも知らないことには先に進まないからである。ここが地理や公民との大きな違いであり、かつ歴史学習において、「社会の見方・考え方」を意識した授業を作りづらくしている大きな要因となっている。

 また、「歴史固有の」にこだわると、そこにも「社会の見方・考え方」を意識した授業づくりを阻害する要因を作ってしまいがちである。例えば、「通史学習」(時間軸を巻き戻さないこと)がその一例である。

 だからこそ、授業としてはある程度自由に時間軸をとらえて考えることが重要であり、個人的には「ifの歴史」や「さかのぼり学習」は有効であると考える。

 4月以降は、とりあえず「西南戦争」から始めて、そこへ落ち着くように進める授業をやっていこうと計画中である。大河ドラマ西郷どん」方式の授業。