青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

奥山研司「歴史学習における解釈学習のあり方」(金子邦秀監修 『多様化時代の社会科授業デザイン』より)

 学習指導要領の改訂により、史資料から歴史を解釈する学習がクローズアップされている。

 ただし、気を付けなければならないのが、生徒の自由な解釈を認めすぎると、歴史相対主義を招き、子どもたちの「事実」「史実」を探究しようとする意欲・姿勢を損ね、探究の営為を手放してしまう。やはり「解釈」にも優劣があり、それには証拠と論理性が必要であることに気づかせなければならない。

 そのためには、解釈が拡散して優劣がつかない史料ではなく、優劣の判断がつきやすく解釈が収束していく史料を選んで教材化する必要があるだろう。

 しかし、奥山氏によれば現行の高等学校歴史教科書における「歴史の解釈」の教材にはいくつかの問題点があることを指摘する。

 

 奥山氏の主張は最後に要約されている。

① 教科書の解釈学習の事例には、生徒にとって内容的にも方法的にもどの部分に「歴史の解釈」が入っているのかわからないものが多い。

 

② 絵画史料は沈黙史料と言われ、情報の読み取りやその解釈は恣意に流れやすく、解釈の妥当性を検証する契機を欠くことが多く、解釈学習の教材にはなじまない。

 

③ 教科書の事例を、次期学習指導要領の主旨(「do history」)に沿って教材化するためには、ワークシート化する必要がある。

 

④ ワークシートには、生徒自身による解釈を保証し、また反証可能性を担保するために、一定程度のボリュームを持った史料の掲載が必要である。

 

⑤ 解釈学習では、”事実と史料の間の距離”が短く、読解する者の解釈の介入する程度が小さい教材を使用し、”揺るがない事実”に収束する解釈の練習から始めるべきではないか。 

 

 特に注目すべきは、②の主張である。よく解釈学習では、生徒から多様な意見を引き出すために、絵画史料を取り入れることが多い。しかし、絵画史料は解釈の多様性は認めても、その解釈の「妥当性」というところにまでは至らないという主張である。

 これは自分の経験でもあるが、絵画史料はぶっちゃけ使いづらい。読み取らせる時間をとったとしても、そこから得られるものは非常に少ないと感じる(結局、オチがないので、生徒に意見を言わせて終わりになってしまう)。「とりあえず生徒に話をさせる」という点ではよいかもしれないが、多様な答えが出てきたときに、それをどう落とすのかは、やはり難しいだろう。

 最近、「主体的」という言葉がクローズアップされているが、社会科とか、地理歴史科という枠組みが設定されている以上は、その枠組みから極端にはみ出さない範囲で、生徒に考えさせることが必要だと思う。