青い森のねぷたいブログ

青い森です。東京の某所で教職についています。教職に関することを主につぶやいていきます。

真正の評価とは

 

 本書は、1992年にハロルド・バーラックらが中心となって、従来型の評価研究のパラダイムを打ち破っている試みと思われる論文を集めて1冊の本にまとめたものを翻訳したものである。

 この本自体、アメリカで1980年代に進んだ学力の画一化(ナショナル・スタンダードや標準化されたテスト)を批判する形で作られている。これは、以下のような問題意識からだと言われる。

 

 ① 子どもたちに育てるべき学力とは、本来、それぞれの地域や時代特有の課題によって変化するものであり、一般的・普遍的な形で定めることは困難であるし、定めるべきではない。

 ② 学力は、知性と情意面とを分離する発想で教育を論じるべきではない。しかし標準化されたテストは知性面ばかりを重視しており、また評価タスクがその地域特有の課題に応えるものとは限らないので、子どもたちにとって課題意識の持ちにくいもの、真剣に取り組む気にならないものとなる。

 ③ 国がナショナルスタンダードを作成し、標準化されたテストでその到達度を評価するやり方は、地域の課題とは無関係の何かを学力として子どもに押しつけることになるし、逆に地域の課題に応えるために必要なことを十分に保証することを難しくしてしまう。また行政による学校の管理統制が進行し、カリキュラムや授業の画一化を推し進めるだけである。

 

 こうした状況を改善するためにはどうしたらよいか。詳細は、本書にいたるところにちりばめられているが、個人的には以下のようにまとめられるかな、と思う。

 

 ① その地域に住んでいる子どもの学習文脈や社会文脈に配慮した課題を設定し、それを追求すること。

 ② 単元という数時間のレベルではなく、長期のプロジェクト(半期、1年間、あるいは数年間)をやり遂げていくなかで、評価づけていくこと。

 ③ 学校外の教育資源からの学びの機会をもっと増やしていくこと。時には、学校外の人間が参加し、彼らによる評価がなされること。

 

 

 これは、今の学習指導要領がキーワードとして掲げている、「学びに向かう姿勢」や「カリキュラム・マネジメント」が究極的に求めている姿であり、それを評価という形で保証すべきであることを述べている。

 また、ここで述べられている世界観は、地域の実情、子どもの学びの文脈を踏まえ、社会に生きる子どもたちをいかに評価していくか、ということにもつながるし、教育の分権化にもつながっていく考え方であると思う。

 

 

 しかし、この本を読む人が同時に感じるのは、日本の学習指導要領は法的拘束力を持っているから、地域の実情を踏まえた教育やカリキュラム編成、評価をすべきでない(してはいけない)と思っている人がいるのではないか、あるいは、学習指導要領の学習内容を教えるためのパフォーマンス評価をしなければならないのではないか、ということである。

 

 もちろんその要素があることは否定しない。しかし、指導要領は校長や教育委員会裁量権にもよるだろうが、ある程度地域の実情に合わせてカスタマイズすることは可能である。

 

 

 また、近年人口に膾炙するようになった、「真正の評価」やそれに基づくパフォーマンス評価が、学問に立脚したものであることを浮かび上がらせてくれている本にもなっており、指導要領の内容を網羅的に、あるいは学問的に教えることは、子どもたちの学習文脈から離れ、不自然な思考を促したりしているのではないか、という批判をしているともいえる。

 

 

 「真正の評価」は、何もパフォーマンス評価をすることだけではないことを感じることのできる一冊となっている。